2016年6月8日水曜日

異文化の受容


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年10月号)

異文化の受容


 ソ連が共産党独裁であった二年前、私はタクシーでモスクワの市内見物をしていた。暑い日
であった。ビールが飲みたいと思い運転手に尋ねたところ、市内ではアルコールを出す店は一
軒だけしかない、ただしその店はマルクしか通用しないという。なぜマルクなのかと聞くと、
ドイツ人はビールがないと死んでしまうからだと大まじめな顔で答えた。
 いま日本には世界中の様々な国から多くの人が集まってきているが、モスクワのビールのよ
うに習慣や法律を変えてまで、外国人を受け入れるために環境を変えようとしているだろうか。
新聞やテレビで見る限りでは、安い労働力を得るという目先の利益が先行していて、外国人に
とっては住みにくい状況にあるように思う。だが少し長い眼でみれば、物質的には豊かな国で
あるから、双方の努力により、衣食住などの表面的な問題は徐々に改善されていくだろう。
 しかし、精神文化に関しては少し事は複雑になる。宗教に関していえば、宗派宗教は政治や
経済との構造的な関わりによって人々の間に利害や対立を生みやすい。つまり政治や経済の要
求によって宗教の姿が化けているわけだ。それだけに他民族や他教徒を理解するのは極めて難
しい。
 これから日本人である私たちが世界中の人々を受け入れ共生するためには、宗教が重要な要
素になろう。化けている他宗教を研究したり、理解しようとしても混迷を深めるばかりである。
結局自らの心の井戸を掘り下げていくしかない。宗教の本質もそんなところにあるように思う
のだが。(MM)
                         1991年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
伝統や文化を守ろうということがよくいわれますが、それは誰のためにあるのでしょう。その対象を線引きしたときに、対立が起こるのではないでしょうか。宗教も同じです。これを超えることこそ新しい時代だと思います。個と集団の対立と同じレベルで乗り越えるときが来ています。
(2016年6月8日 増田圭一郎 記)