2016年6月23日木曜日

ベラルーシ共和国


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年10月号)

ベラルーシ共和国


 先日、ベラルーシ共和国(旧白ロシア)の原発事故の被災者救援団体「ベラルーシ社会エコ
ロジー同盟・チェルノブイリ」の会長ヤコベンコさんら、四人の代表団が日本を訪れた。帰国
の前夜、この四人から直接ベラルーシの情況を聞く機会を得た。
 ベラルーシ共和国はウクライナ共和国の西北に隣接した国で、人ロー千百万人を擁している。
この国は六年前、隣国ウクライナの国境近くにあるチェルノブイリ原発の事故で、たまたま風
下側に位置していたため、事故で発生した放射能物質の七十パーセントが領土に降り注いでし
まった。今、危険に曝されている人は二百万人に及ぶという。
 当時ソ連邦は、各地の保健関係者を集めて調査報告会を開いたが、汚染の実情については厳
しい箝口令をしいた。そのため、ベラルーシ国民は実態を知らぬままに、汚染地帯に住み続け
ることになる。そして三年後、ソ連邦解体に前後して次第に情報が増えてきた。放射能被ばく
の特徴は、被ばく後六〜七年でガンや白血病として顕在化するので、最近の二年間の間に汚染
の情報公開と折り重なった形で恐怖が国民を襲っている。事故当時二〜四歳で、甲状腺が最も
発達する時期にあった子供達が早く発病し、死亡している。今では年齢を問わずガン患者が急
増しているが、救援対象の子供は二十万人。転地療養で免疫力が高まって元気になることは、
日本での短期療養でもわかっているが、国外療養だけではとても間に合わない数である。
 今、この救援同盟は汚染の少ない首都ミンスクに、この子供達のためのサナトリウムを作っ
ている。一人一ヵ月の療養費は三千五百円。二十万人の里親が求められている。(MM)
                         1992年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
翌1993年に、「湧」増刊号で『たった一回の原発事故で』が出版されますが、この前後でも巻頭言では紹介されないので、書き留めます。『たった一回の原発事故で』は、ベラルーシのお隣、ウクライナのお母さんたちが、子どもたちを日本への国外療養に送った後のお礼の手紙を綴ったものです。子どもたちにたいへんな健康被害が出ていることを書かれています。ぜひご一読ください。(2016年6月24日 増田圭一郎 記)