2016年6月7日火曜日

ビジネス音痴と生命音痴


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年9月号)

ビジネス音痴と生命音痴


 隣国のソ連で大きな変革が起こっている。僅かずつではあるがこの国の人々と交流を続けて
いる私にとって、ソ連体制の急変は現実味をもって伝わってくる。私たちの交流の主題は、ペ
レストロイカ以降急進展していた環境保護の問題であるが、これは経済問題以上に難しい。
 ところで、ソ連の人々と付き合って当惑してきたことは、この国の人の多くが、事務的な手
続きになると些細な事柄でも決定ができず、仕事が遅々として進まないことである。食事をは
じめ、日常生活ではおおらかで気配りよく親切であるのだが、新しい仕事で個人的判断や意志
決定が必要となると途端に流れが止まってしまう。このような主体的に仕事を運べない人々の
集積が、この国の経済破綻をもたらす大きな原因であったのかと思う。ソ連人のビジネス音痴
の原因は、長い独裁体制下で身についた権威への依存心による自主性の不足によるのか、ある
いは自由なき境遇への無意識な反抗心のなせるわざなのかは分からない。いずれにしてもソ連
の経済破綻が、改革を早め自由への突破口になるかもしれない今日の状況では、ビジネス音痴
は大きな知恵の力であったのかもしれない。
 ひるがえって日本を含む西側の自由主義諸国の状況はどうであろうか。ソ連とは異なる形で
権威への依存心が強いのに、こちらは指摘してくれる先進国が存在しないので始末が悪い。そ
れは、金銭経済や物質主義という権威への強烈な依存心による地球全体の生命をみる心の主体
性、自主性の喪失である。その証拠に環境問題解決への創造的、抜本的アイディアと行動が極
めて少ない。これを生命音痴と呼びたい。(MM)
                         1991年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
ここで言っているビジネス音痴は、今の日本で確実に進行している気がします。やらされ仕事に慣れてくると、主体的に仕事を運べなくなります。
主体的な仕事に対する喜びは、結構深いところにあるので、感じるまでにある程度時間がかかります。
生命音痴はもっと深いところにあるので、もっと時間がかかるような気がしますが、こちらは意識を手放すことがキーなので、感性があればすぐに喜びにつながるかもしれません。
(2016年6月7日 増田圭一郎 記)