2016年6月23日木曜日

ギョウコウ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年9月号)

ギョウコウ


 経済不況は長期化している。株価の暴落が底知らずに進んで、証券業界の取引きはかなりピ
ンチに追い込まれているらしい。その証拠に私のところにまで利殖の勧誘電話がかかってくる
ようになった。きのうも忙しい仕事の最中にOO貿易というところから電話があり、突然財テ
クの説明が始まった。断りの言葉をはさむ余地もなく喋り続けるので、しばらく呆然と聞いて
いたが、相手の話が一段落したところで思わず「うちは財テクはやっていません。出版社です。
うちはギョウコウはやりません」と言うと、一瞬むこうからの言葉がとだえた。そこで私が「ギ
ョウコウという字を知っていますか」と問いかけると、ひどく狼狽した様子で「知りません」
との返事。「では、辞書で調べてみて下さい」と言うと、「はい、調べてからまた電話します」
と電話は切れた。
 我々日本人の多くは経済成長の中で、いつのまにか僥倖心が身についてしまった。バブルが
はじけたといって、これを一時的な経済のやりくりの失敗だととらえようとしているが、文明
自体がもともと僥倖心の上に築いた脆弱なものである。石油をはじめ天然資源の自然からの一
方的収奪、植民地をはじめとする経済格差を利用した労働力の収奪など、やがて行き詰まるこ
と明々白々である。これらは自らの汗によらないで生活を豊かにしようという僥倖心にほかな
らない。
 我々がテレビの画面で見たあのロサンゼルスの暴動は、一時的、局地的事件として忘れかけ
ているが、M・ファーガソン女史は、今後を暗示した地球的事件と予感している。
 大きなバブル文明は環境問題、民族問題としてすでにはじけはじめている。(MM)
                         1992年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
僥倖とは、今の言葉で言えば、タナボタ、当たってラッキー、でしょうか。でも、思いがけない幸運といったいいイメージがあります。
でも、僥倖心を煽ることははびこっていますね。
ラクして儲けたいと思うことは、当然の権利と思っている人も多いような気がします。
ラクして儲けるとその裏で苦しむ人が出るのは、原理なのですが。
(2016年6月23日 増田圭一郎 記)