2016年6月27日月曜日

伊江島のガンジー


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年11月号)

伊江島のガンジー


 沖縄本島のほぽ中央部沖合い、東シナ海に面した所に伊江島がある。この島は一九四五年の
沖縄戦で本島上陸の一カ月前に米軍の猛攻を受け、わずか一週間で占領された。激戦のその惨
状は、沖縄戦の縮図といわれている。
 この島に阿波根昌鴻さん(八十九歳)が住んでいる。以前から、沖縄に行ったらぜひこの人
に会うようにと知人から勧められていたが、このたびゆっくり話を間く機会を得た。
 戦後島民は、鬼畜といわれていた米軍が民主主義に培われた穏健な人々であることを知り、
喜んだ。ところがその平穏も束の間、八年後には強制的軍用地接収が始まった。米軍が来て、
視察案内の日当を払うからといって英文の書類に捺印させ、それが実は立ち退き同意書であっ
たという手口で次々と島民をだまし、地面にひれ伏して嘆願する農民を縛り上げて、家や畑を
ブルドーザーで潰していった。島の六十パーセントが基地化する。
 阿波根さんは考えた“むこうが畜生ならわしらは人間だ。人間にはケダモノはかなわない。
人間とはどういうものか教えてやろう”そして島民と共に「陳情規定」を作る。その精神は「常
に友好的で嘘偽りは語らず、誤った法規にとらわれず高い道理を通して訴える。生産者である
農民は、破壊者である軍人に人間性において優っているという自覚を堅持する」というもので
ある。現在基地は、島の三十パーセントに減少したが、阿波根さんは今もこの姿勢を貫いて基
地完全撤廃を訴え続けている。
 阿波根さんはこれまで日本軍、米軍、琉球政府、日本政府などの権威に翻弄され、裏切られ
てきた。農民として、人間としての自らの権威が最強の砦となった。(MM)
                         1992年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
数回前のこの欄に、戦時の制服の怖さは、実感としては次世代に伝えきれないといったが、写真や物や文章で、戦争の愚かさ、悲しさを伝えることは出来る。阿波根昌鴻さんの遺した写真集や資料館にはこれが残っている。
阿波根さんは、誰かを敵として闘ったのではなく、間違っていることを間違っていると言っていただけで、相手が自ら変わることを促していた。
愚かさに気づいてきた世界は、次第にこちらに向かってきているような気がしてならない。
(2016年6月27日 増田圭一郎 記)