2016年6月21日火曜日

二十七年前の杞憂


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年7月号)

二十七年前の杞憂


 二十七年前のある日、親しい友人が私の本棚をみて「この日本の歴史シリーズは大切にとっ
ておくといいね。この時代に書かれた日本の歴史は学者の良心が自由に発揮されている貴重な
本になるかもしれない。これからは再びかつてのように歪められた歴史が綴られるような時代
がくるような気がするよ」と言った。私はその時、胸に一抹の不安はよぎったが、それは取越
苦労が過ぎないかという思いで問いていたのを思い出す。その友は七年前に他界したが、最近
の日本は彼の予感通りに動いてきたように思える。その当時の私は、武器を携えた自衛隊が海
外に出ようとは想像もできなかった。むしろ丸腰の日本を倣った国が一つ二つと生まれていく
ことを現実の問題として描いていた。
 ところがPKO協力法が成立したとたんに、にこにこと愛矯のいい制服姿がテレビや新聞に
しばしば登場するようになった。やがて海外に出た自衛隊員に犠牲者が出はじめると、この笑
顔は次第に居丈高な威厳に満ちた顔になって、国民に奉仕と犠牲を呼びかけるようになるのだ
ろうか。それは私の取越苦労だろうか。こわい制服の顔を知っているのは私たちが最後の年代
に属する。
 最近のマスコミの番組や記事をみていると不自然な報道が目立つ。町からもう良心の灯が消
えはじめていると思えてならない。今の日本は経済のバランス取りに気をとられて、人類生存
の基本的バランス感覚を失っているといったら杞憂に過ぎるだろうか。(MM)
                         1992年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
この文章が、24年前だから、そのときの杞憂は51年前ということになります。ちょうど私が生まれた年です。
この杞憂は、まさに現実のものとして目の前にやってきました。
こわい制服の顔は、きっと見た人しか分からず、見ていない私たちは、次の世代に実感としては伝えられません。しかし、現在の状況をしっかり見ていると実はすでにこわい制服の顔が見えていることに気づきます。
先日も書きましたが、来月出る『日本の民主的革命 ドイツのガラス張りの官僚制度から学ぶ』(関口博之著)は、それが描かれています。
(2016年6月21日 増田圭一郎 記)