2016年1月6日水曜日

初めか終わりか


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年6月号)

初めか終わりか


 やはりチェルノブイリ原発事故のことを言わずにはいられない。
 時代はさかのぽるが、昭和二十六年頃に『初めか終わりか』という題のアメリカ映画が東京
で公開された。この映画は、原爆の開発実験の様子から日本爆撃の準備、アクシデントによる
科学者の被ばく事故、そして広島への投下の模様までが実写フィルムも使って克明に描かれて
いた。核エネルギーの実用化は人類にとって初めなのか終わりなのか。当時これを見た私は大
きな衝撃を受け、その後の文明に対する懐疑の出発点となった。実はこの映画は、三日間ほど
で上映が打ち切られてしまい、その後消息を聞いたことがない。
 さて、史上最悪の今度の原発事故は、直接多くの被ばく犠牲者が出たというばかりでなく、
放射能汚染が北半球全域に及び、その被害の拡大は計り知れないといわれている。事故当時、
自国の原発は絶対安全といっていた当のアメリカで、最近、下院の公聴会の席上ある委員が、
「現在のアメリカの安全基準では炉心熔融が起こりうる。今後二十年以内に今回のソ連の原発
事故と同規模かそれ以上の事故がおこる可能性がある」と証言し、内部批判がはじまっている。
また、この原発事故後に行ったアメリカの世論調査では、十人に八人が新規原発建設に反対、
十人に四人が既存原発の廃止を支持すると答えたという。
 かつて夢のエネルギーともてはやされた核の利用は、三十五年も前のあの映画『初めか終わ
りか』の初発の問いに回答をせまられる時代に入ったようである。
 チェルノブイリ原発の事故は、人間の未来にとって禍となるか福となるか。  (MM)
                                 1986年6月10日発行


(次世代のつぶやき)
チェルノブイリ事故のあと、地湧社では数冊の原発関連本を出しています。87年の湧増刊号「まだ、まにあうのなら」(甘蔗珠恵子著)、88年『放射能はなぜこわい』(柳澤桂子著)、93年湧増刊号「たった一回の原発事故で ウクライナの母たちからの手紙」2007年『巨大地震が原発を襲う』(船瀬俊介著)。このなかでも、「たった一回の原発事故で」は、ぜひおすすめです。チェルノブイリ事故から4年、ウクライナのお母さんからの手紙は、いまの福島と重なり心を打ちます。
(2016年1月6日 増田圭一郎 記)