2016年9月1日木曜日

麦を播け


しばらく更新が滞ってしまいましたが、再開します。

地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年11月号)

麦を播け


 十月下旬、青森県五所ケ原の稲作地帯で凶作の実態をみて帰京したところへ、愛媛県から自
然農法の福岡正信さんがたわわに実った稲株を携えて上京してきた。農業大学での講演を機会
に、今年の凶作をうけて農作へ緊急提案をしたいという。
 その提案の論旨は「稲作農家は今すぐ、その田んぼに麦を播け。刈り取った田んぼでも刈り
取らない田んぼでもいいから、そのままそこへ大麦でも小麦でも播いたらいい。“国産小麦使用”
は今や市場で価値があるのだ。」というものである。米麦の連続不耕起直播、無施肥、無除草の
福岡自然農法なら、子供の手でもできる作業だ。そうすれば米不足の足しになる。収入も捕え
る。今年の状況は、自然農法の形態を取り入れるよいチャンスである。それによって地力が向
上するから機械、肥料、農薬などの資金が低減し、経済競争力が増す。持参した一株の稲が証
明しているように、気候の変化に強い作物作りができる。
 政府は凶作による米の不足を捕うために150万トンの外国米を輸入したいといっている。
この一面的対策の波及するところは、日本の稲作農家への経済的打撃だけではない。すでに輸
出国自身の米価格の急騰で、かの国の消費者を圧迫している。さらに、強力な防虫剤を使用し
た輸入米は健康への害がはかりしれない。自然農法は原理的にタイで作ろうがアメリカで作ろ
うがコストは同じである。そうなれば農作物貿易によって暴利を貪る一部の者を除けば、すべ
ての人に有益な農法だと、福岡さんは言い切る。今ここで麦を播けという福岡さんの提案は、
単に農家の目先の生活対策にとどまらず、土、作物、人間を貫くいのちの営みという原点に還
り、世界の農業に再起の道を開くものであるといってよい。(MM)
                         1993年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
農業は自然相手だから、臨機応変ですね。予定していたことと別のことが起きても、そこで次に切り替える。今日の天気で、今日やることを簡単に変える。それも想定範囲内ということです。それができるのも、百姓というようになんでもできるから。
今日は、珍しく新暦と旧暦がどちらも1日ですから、旧暦の朔月、つまり新月です。最近ちまたでは、新月に始めるといいことが起きるということを言う人が多くなりました。新月カレンダーで動くと、自然に反して生きている心の奥底の理不尽な気分が、スッと楽になりますよ。今日からまた始めよう。(2016年9月1日 増田圭一郎 記)

2016年8月26日金曜日

限界


しばらく更新が滞ってしまいましたが、再開します。

地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年10月号)

限 界


 素もぐりで105mの潜水深度記録をつくったジャック・マイヨールの話を感銘をもって聞
いた。常に笑みを絶やさない、全身にやさしさを漂わせる彼のどこにそんな強靭な意志が潜ん
でいるのだろうか。
 人間が素もぐりで深度40mの壁を破ったのは1956年である。当時生理学者達は素もぐ
りでの人間の潜水限度は50mで、それ以上になると内外圧の差のために胸がつぶれ、肋骨が
折れると理論的に計算していた。しかし、マイヨールは更に挑戦を続けた。
 もともとマイヨールには彼独自の生命に対するひとつの洞察があった。“生きものは機械では
ない。規定できない適応変化の可能性を秘めている。同じ哺乳類のイルカが300mの深度ま
で潜っているし、ある種のクジラは2200mの潜水が確認されているではないか”だが彼
はやみくもに記録をめざしたわけではない。記録更新ごとにおこる海中での生理的変化を科学
者達の協力で着実につかんでいった。驚くべきことに、深海になると内臓の位置が変化したり、
体じゅうの血液が肺に集まってきて胸部の内圧を保持し、更にこの血液の集中が閉息時間の延
長を支えていたことがわかった。限界をひいていた科学者達の理論はここで覆ったのだ。
 100mもの深海になると、さながら骸骨に皮がへばりついているような凄まじい形相にな
るという。この潜水行は四分足らずで終わるが、急激な圧力変化を受けても潜水による後遺症
は残らない。自らイルカ人間を自称するマイヨールは言う。「人間はやがて閉息時間10分を超え
て30分を可能にし、300mの深度まで潜水が可能になるだろう」。そして最近、彼の教え子
は閉息潜水深度120mの壁を破った。(MM)
                         1993年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
海に潜って、潜って限界まで潜る。人間が、魚だった時代の記憶は確実に遺伝子に眠っているはずです。その記憶の魅惑はあるのでしょうね。自由に水の中を泳いでいる夢は、生まれてから今までに何度見たことでしょう。ジャック・マイヨールの映画「グラン・ブルー」は、脳の思考からトリップします。ぜひ、大きな画面でご覧ください。
(2016年8月26日 増田圭一郎 記)

2016年7月15日金曜日

ルクセンブルク


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年9月号)

ルクセンブルク


 フランス、ドイツ、ベルギーの三国に囲まれたルクセンブルク大公国は広さ南北八十粁、東
西五十粁、人口三十九万人の小さな永世中立国である。かつての鉄鉱産業から変身して、今で
は首都ルクセンブルク市は金融会社が軒を連ねるヨーロッパ経済の中心となりつつある。国民
所得はEC諸国の中で最高水準にあり、周辺国からの信望も厚く、EC司法裁判所はこの国に
置かれている。
 最近私はこの国の一地方に十日間余り滞在する機会を得た。先ず私が関心をもったのは、周
辺の国からみれば辺境の片田舎でしかないこのちっぽけな国が、なぜ歴史あるヨーロッパの中
でリーダー的存在にまでなったのかということであった。
 ここの住民と親しく接するうちにこの謎は次第に解けてきた。住民の多くは現地語の他にド
イツ語、フランス語、そして英語を使いこなす。更に食生活も多様でヨーロッパ各国の食文化
を悉く集めている。その他生活文化全体について異質の文化の受け入れ上手である。そして生
活は質素素朴で自然環境を極めて大切にする。第二のスイスといわれるほど深い谷や丘が美し
く、森林が多く保存されている。
 この国は隣国との国力の落差があまりにも大きいので軍隊を用いたことがない。外国の侵入
を受けてもそのままそれを受け入れざるを得なかった。従ってさして深い傷も負わず、相手国
民に怨恨を残すことも少なかったようだ。つまりナショナリズムや国のエゴイズムを感じさせ
ない。ついに最後まで、この国の人々のアイデンティティーは? などというケチな質問は出
せなかった。今までの大国主義とは対照的な国の運営に明日の希望を見たような気がする。(MM)
                         1993年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
ルクセンブルグは不思議な国ですね。世界唯一の大公国、立憲君主国です。ちゃんとした国ですが、お城が中心にあってファンタジックな感じがします。散々あっちこっちに占領されながらも生き残ったのは、政治というより宗教によるもののような気がします。滞在しましたが、とても明るかった印象があります。(2016年7月8日 増田圭一郎 記)

2016年7月14日木曜日

信号音と雑音


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年7・8月号)

信号音と雑音


 人里離れた山中に住む知人に「ここでは地震の時に地鳴りが聞こえますか」と尋ねた。「小さ
な地震でもしっかり地鳴りが押し寄せてきますよ。十年前にここにくるまでは地鳴りなんて体
験したことはなかったんです」と言う。私は東京下町の家屋密集地帯に住んでいた小さい頃、
地震は地鳴りと共にやってくると思っていた。遠くからゴーッという音が近づいてきて、グラ
グラと揺れ、次にガタガタと家具が鳴り出す。ところがよく考えてみると、四十年くらい前か
ら、地震があっても地鳴りを聞かなくなった。これは自動車の普及と関係があると思っている。
 S-N比という概念がある。もともと電気通信工学で使われた言葉であるが、Sは信号、Nは
雑音で、音響装置はSN比が大きい方が高性能とされる。音声を増幅するときに雑音が小さ
く、信号が大きければ明瞭な良い音質が得られる。ここでは地鳴りが自動車の雑音に消された
というわけである。窓ガラスが汚れれば小雨に気づかなくなる。濃い味付けにすると素材の味
が消える。都会のあかりが夜をなくす。医学の進歩が自然治癒力を阻害する。教育活動がさか
んになって人間の成長を見失う。金権がはびこり政治が理想から遠のく。
 前述の知人の家で瞑想中に珍しいサウンドテープを聴かせてもらった。宇宙船外に出したマ
イクで宇宙空間の音を収録したものである。超高速で気体の雲を突き抜けていくような波状と
連続をくり返す鋭い複合音である。感動的なのに意味を感じない音なのだ。不思議なことにこ
のテープは何回ダビングをしても音質が低下しないそうだ。全部が雑音だからなのか、全部が
信号音なのか、その物指しがない。(MM)
                         1993年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
電磁波や電波にさらされていると疲れます。『体の中の原始信号』(間中喜雄著)という本がある、鍼や経絡に出会った間中先生が、体の中の微弱な電気信号を観察し、これをx-信号系と名付けます。音波もそうですが、強い波動にさらされていると微弱な波動が弱ってきます。
(2016年7月7日 増田圭一郎 記)

自己の人生


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年6月号)

自己の人生


 『もう一つの人間観』の著者、和田重正氏がこの世を去った。私は故人が著作を開始する直
前から今日まで三十年間、身近に縁をいただき、二十冊近い著書の出版に関わる一方、最も盛
んに活動した前半の二十年間には特に研究会、講演会を通じて多くの教えを受けた。彼の世界
観、人生観の最も表現の豊かな時期に身近に接し得たということは幸いであった。
 人間の生き方についてもっぱら個の問題に中心を置いた生活をしていた彼が、世界を破滅に
陥れようとしたキューバ事件をきっかけに、個と全体の問題に積極的な提唱をはじめた時期が
ある。その頃彼は自らの人間観を独自な方法で表現しはじめている。その頂点が主著『もう一
つの人間観』の原型「人間についてのメモ」である。二十枚ほどのこの短いメモを要約すると
次のようになる。“人間は宇宙誕生以来、無限の彼方から選択してきた成功体験を宿している。
決して間違えることのないこの大きな智慧と、個の保存の道具として間違いを犯しやすい大脳
の存在、この二つの特性を「人間の二重構造性」とよぶ。そして大脳のもつ特徴的な能力は、
実は宿った智慧の活用にある。それは大脳の自己否定と、それをもう一度否定するはたらきを
体得することで実現される”
 ある時、彼は座談会の席上で参会者の一人から「和田先生のおっしゃることは釈尊の教えに
よく似ていますね。仏教を相当勉強なさったのですか」と尋ねられ、「私は仏教はあまり勉強し
ていません。私の言うことに釈尊の説いたことが似ているのでしょう」と真顔で答えた。その
情景は、自己の人生を生きることへの励ましとして、今でも強烈な印象で残っている。(MM)
                         1993年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
大脳の自己否定、それをもう一度否定する“はたらき”といっていますが、この“はたらき”が、味噌です。微妙ですが、大脳の活動を止めて天命に従えということではない。そういう智慧があるのだということを、大脳が自覚すればいいのでしょう。
一昨年出した『葦かびの萌えいずるごとく』と『もう一つの人間観』『母の時代』を順番に読むとこのことがはっきりわかります。
(2016年7月6日 増田圭一郎 記)

2016年7月5日火曜日

原初的な疑い


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年5月号)

原初的な疑い


 中国南東の僻地を訪れたとき、そこの銀行で外貨両替を申し込んだところ、三人の行員がか
わるがわる紙幣を透かし視したり、困ったような顔つきで私の顔を見たり、長い時間かかって
ようやく両替してくれた。この体験があって間もなく、大阪で大量の偽札が発見された。やは
り贋金づくりは絶えないのだと思った。平穏に慣れきっている今の日本人である私達は、貨幣
の真偽はもちろん、貨幣経済そのものの欺隔性などという大それた原初的な疑いはとうにもち
得なくなっている。
 これと同じように日頃注意を払うことが少ないものに私達が毎日飲んでいる水がある。日本
人が使う飲料水はかつて井戸または湧水、河川の流水などから直接汲んで使っていた。それが
水道給水方式が普及して間接的な入手方法になり、水の身元がやや不確かになった。しかし、
ここまではなんとか大地から私達の口まで一応連続していたと言えよう。ところが最近、水を
ビン詰やカン詰にして販売することが急速に普及しはじめた。しかもその価格がガソリンより
も高価なのだ。水はいのちと言うから、ここでは価格のことはとやかく言うまい。だが、一旦
大地から切れて商品化してしまった水が、水の生命的機能をどこまで保ち得るか疑わしい。
 貨幣のもつ機能や水の本質的な力を保証する主体に、なんら原初的な疑いをもたない私達。
あえて付け加えるならば、実体から乖離した言語の氾濫に気づかずにいる私達。現代は一つ一
つの生活のもとになるものが抽象化、間接化されている。それに慣れきっていつの間にか国ぐ
るみ、世界ぐるみ、詐欺行為の温床をつくり合っている。(MM)
                         1993年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
原初的な疑いで、最近気になるのは、ネットの情報です。メールなど知っている人とのやりとりはいいのですが、ネットにあふれている情報には、どうしても信頼できないというか、しっくり来ないのです。
(2016年7月5日 増田圭一郎 記)

2016年7月4日月曜日

人間の設計にミスはない


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年4月号)

人間の設計にミスはない


 九十六才の天寿を全うされた故橋本敬三先生を偲ぶ会の案内に、故人自筆の挨拶文が同封さ
れていた。
  「御無沙汰致してをりましたが御気嫌如何お暮しですか。永い事温い御友情をもっておつき
合い下さいました事ほんとに有難うムいました。私事去る一月二二日命数を終りまして一足お
先に失礼して祖神の里に還りました。遺族の者共未だ当分御世話になる事でムいますのでよろ
しくおつき合願上ます。一々御挨拶やお礼やら思い出話等も申上たかったのですがそれは叶ま
せんので若し御心がムいましたらいろいろ書き残したものもムいますのでおひまの節にお目通
し下されば幸甚と存じます。生まれ育てられくらして来た日本の国は楽しい有難いところでし
た。どうぞ貴方様もお幸せに。左様なら おんころや」
 日付だけが印字になっていた。三月末に仙台市で行われたこの偲ぶ会は、大きな会場におよ
そ七百人の人が集まり、故人の思い出を語り合った。
 先生は外科医であるが、独特の生命観に基づく操体法という療法を築きあげた。この療法は
妙療法として一世を風扉し評価が定着したが、肝心の生命観、宇宙観については世間の受け取
り方に先生自身がもどかしさを感じていたような気がする。その考え方は「人間の設計にミス
はない。原始感覚の最快適感の座席に座ればいい」「頑張りでなく力を抜くこと、そうすれば体
全体が自然にバランスする」という徹底した、いたわりと人間讃歌の精神に貫かれていた。
 遺影を囲む祭壇は緑と菜の花、桃の花で埋まり、会場のいたるところに季節の草花が溢れ、
まさに極楽浄土であった。(MM)
                         1993年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
とても素敵な挨拶文ですね。じっくりしっかり生き抜いた安心感が出ていて、とても真似はできません。操体法の考え方自体がそうだと思いますが、橋本先生の力まない、しかし、精神が落ち着ききった姿勢が感じられます。
(2016年7月4日 増田圭一郎 記)

2016年7月1日金曜日

孤独な航海


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年3月号)

孤独な航海


 Yさんが一流企業を退社してから十三年になる。当時、電子工業が機械工業にとって変わる
産業構造の変化で、会社は人員整理をはじめていた。Yさんは有能な仲間違と図って、退職後
新規事業会社を設立すべく準備をはじめた。四十一歳であった。ある夜、彼らは最後の決断を
すべく喫茶店に集まることになった。集合時間に少し遅れてその店を探しあてた彼はそこに「ば
からし」という看板を見た。それは「しらかば」という名の喫茶店であった。「俺のやることは
別にある」。そう直感した彼は即座にこのプロジェクトから降りた。
 彼にはずっと以前からもち続けていた関心ごとがあった。「この世界をつき動かしているもの
は何なのだろうか、神とか仏といってしまわずに何か法則がみつからないものだろうか」。これ
は全く個人的関心で、伝統や権威から無縁であるから職業にはならないし、研究とも呼べない。
結局今日まで職につかず、アルバイトもせず、家から出ることもほとんどない生活が続いてし
まった。最近では奥さんがパートに出て生計を支える毎日だ。その奥さんが唯一の助手で資料
の清書をしてくれるが、内容についてはとうに愛想をつかしている。
 その結果、Yさんは数年前、彼の命題に通じるかも知れないユニークな発見をした。それ以
来発表の場を求めて多くのメディアに資料を提供してきたが、素材が突飛すぎるのかどこから
も反応がない。そこで今度は自ら著述という形で挑戦を試みている。この発見が彼の命題に肉
迫するかどうかは今のところわからない。しかしYさんのこの長い孤独な航海に拍手を送りた
い気持ちでいる。(MM)
                         1993年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
Yさんの孤独な航海はどうなったのでしょうか。
孤独な航海をする人は、少なからずいるとは思いますが、ほとんどは表に出てこないのでしょう。
ニューヨークに住む、やすだひでおさんも孤独な航海をする一人です。生きる意味を問い、行き詰まってついに死ぬために世界放浪の旅に出る。そこで出逢ったブラジル女性と結婚し、子どももできるが、魂の渇きは癒えず、一人でニューヨークにでて、20年もの哲学的思索にふける。
たどりついたところが、1冊の本に。『すべてはひとつの命』(やすだひでお著)。
(2016年7月1日 増田圭一郎 記)

2016年6月30日木曜日

一義的な問題


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年2月号)

一義的な問題


 松枯れは相変わらず進んでいる。ひと頃、松枯れの原因は松喰い虫の発生によるものだとし
て殺虫剤の空中散布が盛んに行われ、周辺住民が直接関接被害を受け問題になった。しかし、
松枯れの原因はもっと深いところにあって、松喰い虫を駆除しても松枯れはとまらなかった。
松喰い虫は枯れはじめた松の後始末屋にすぎず、幹の導管の中に潜入した線虫によって松が既
に侵されていることがわかった。ところがそれも二次的な事柄で、線虫自体の発生の原因は土
壌菌のアンバランスからきているという。土壌と根の健全な松は線虫にも松喰い虫にもやられ
ない。殺虫剤の空中散布には多額の費用がかかる。効果がないとわかっていても続けているの
は、経済的利益を得る人がいるからに他ならない。
 さて、なぜこのような話を持ち出したかというと、今の社会はこの松枯れ対策と同じように、
二義的、三義的な問題に人々の関心や経済活動が集まってしまっているということを言いたか
ったわけである。譬えてみれば、松喰い虫は日本の将来を脅かすかも知れない世界状勢であり、
線虫は腐敗政治体質と経済構造体質である。土壌菌のバランスがいいか悪いかは我々一人ひと
りの資質である。これを見失うと、いつの間にか豊かさも平和も失ってしまう。
 政治家や専門家は最重要な問題を扱っているようにみえるが、たいていの場合、実は目先の
利を伴う二義的三義的問題を扱っているにすぎない。一義的な問題は常に素人庶民の手中にあ
る。これが整っていけば二、三義的問題はおのずから間違わない方向に進むだろう。(MM)
                         1993年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
政治的なことでいえば、ようやくすべての人に一義的な問題を政治に関与することができる時代に来ました。一票の差問題があるとはいえ、平等に持つ選挙権です。これこそ資質が問われます。
7月10日まで期間限定で、ブックレット『誰にための憲法改「正」?』(馬場利子著)を無償ダウンロードできるようにします。くわしくはこちら。(2016年6月30日 増田圭一郎 記)

2016年6月29日水曜日

目覚しの時代から目覚めの時代へ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1993年1月号)

目覚しの時代から目覚めの時代へ


 寒気に冷えきった体を暖かい列車の中に運ぶ。列車が動き出してしばらくすると、心地よい
眠気に包まれる。ちょうど深い眠りについた頃、車掌が検札にきて「乗車券拝見」と言って起
こす。不愉快ではあるがよくある光景で、これまであまり気にとめたことはなかった。ところ
が先日、ぐっすり眠っている近くの乗客を、車掌が車中全員に聞こえるような大声で、繰り返
ししつこく起こすのを見て、無性に腹立たしくなった。
 中国の諺に「食べている犬はたたけない」という言葉があるそうだが、食事以上に睡眠は生
命の根本的営みであろう。かねてから私は、他人の眠りを妨げるという行為に疑問をいだいて
いる。家庭内で親が子供の目覚めを促すことから、朝、目覚し時計を使って起きるということ
まで、目覚めを他律的に操作するという習慣が普く行き渡っている。自然に目覚めるなどとい
うことは、文化生活にそぐわないことなのだろうか。母親が「起きなさい」と言うことは文化
的な物差で言えば愛情になるが、生命的な物差で言えば虐待である。
 「魂がもどってこないうちに起こしてしまうと、その人は一日中魂なしで暮らさなければな
らない」。これはアメリカインディアンの諺である。我々現代人は一日の大半を他律的要請によ
って動いている。一目一回、朝の目覚めくらいは内からの催しに従ってもよいのではないか。
自然はあらゆる要素を勘案して最適の結論を出していると思うから。(MM)
                         1993年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
睡眠は、ボディー・マインド・スピリットどれにも大切なものです。とりわけ、この三位一体のバランスをとる大切な役割があると思います。優れた睡眠を出来る人は、人生がすべてうまくいく。過言ではないと思います。
それと、起きている時間に意識的に出来る三位一体のバランスの取り方、それは休みの取り方です。伝統的大工さんなど職人さんは、素晴らしい休みの取り方をします。
(2016年6月29日 増田圭一郎 記)

2016年6月28日火曜日

援助


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年12月号)

援助


 インドネシアのジャーナリスト、モフタル・ルビスさんの来日講演会があった。そこには古
くからインドネシアにゆかりの深い人達も多く参加していたので、さまざまな視点からインド
ネシアの現況を知ることができた。まず驚いたのは、二千人規模の日本人学校がジャカルタに
あるという。三年間の滞在中に現地語を使わずに日本語だけで生活できた人がいるという。日
本企業の進出ぶりは、私の想像をはるかに越えていた。
 ごく最近までにこの国は歴史的背景もあって、オランダからの援助に頼ることが多かった。
しかもNGOなど民間の協力が非常に盛んで、環境問題や人権問題を含めた幅広い援助活動が
続いていたらしい。だが開発を急ぐ現地にとって、NGOなどの環境保全提言は、目の上のた
んこぶになってきた。そこへなりふりかまわぬ日本企業の進出で、渡りに舟とばかりインドネ
シアは、オランダの援助を締め出してしまった。それに加えて今、この国に原子力発電所の建
設の計画が進み、すでに日本輸出入銀行が積極的に乗り出した。
 二年前「モンゴルの生活と環境調査団」の一員として現地を訪ねた私は、援助というものの
難しさを思い知らされた。一見粗放地に見える草原を耕作したら砂漠化してしまい、元も子も
なくなってしまったり、優秀な品種の家畜を導入したら、一時的に豊かになったのも束の間、
すぐに死に絶えてしまったといった具合である。現地の政府機関の人達からモンゴル開発につ
いて意見を求められた時、私はいのちを生かす本当の文化とは何かということを考えてほしい。
そしてあなたの国を生かす文化が今の日本にあるかどうか疑問だ、と答えるしかなかった。(MM)
                         1992年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
援助と支援という似た言葉があります。援助は、出来ないことを代わりにすることで支援は出来るように支えること。国際自立支援では、小社から2冊の本が出ています。『信頼農園物語』『内発的公共感覚で育みあう将来世代』どちらも通販会社フェリシモの名誉会長矢﨑勝彦氏の著です。
(2016年6月28日 増田圭一郎 記)

2016年6月27日月曜日

伊江島のガンジー


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年11月号)

伊江島のガンジー


 沖縄本島のほぽ中央部沖合い、東シナ海に面した所に伊江島がある。この島は一九四五年の
沖縄戦で本島上陸の一カ月前に米軍の猛攻を受け、わずか一週間で占領された。激戦のその惨
状は、沖縄戦の縮図といわれている。
 この島に阿波根昌鴻さん(八十九歳)が住んでいる。以前から、沖縄に行ったらぜひこの人
に会うようにと知人から勧められていたが、このたびゆっくり話を間く機会を得た。
 戦後島民は、鬼畜といわれていた米軍が民主主義に培われた穏健な人々であることを知り、
喜んだ。ところがその平穏も束の間、八年後には強制的軍用地接収が始まった。米軍が来て、
視察案内の日当を払うからといって英文の書類に捺印させ、それが実は立ち退き同意書であっ
たという手口で次々と島民をだまし、地面にひれ伏して嘆願する農民を縛り上げて、家や畑を
ブルドーザーで潰していった。島の六十パーセントが基地化する。
 阿波根さんは考えた“むこうが畜生ならわしらは人間だ。人間にはケダモノはかなわない。
人間とはどういうものか教えてやろう”そして島民と共に「陳情規定」を作る。その精神は「常
に友好的で嘘偽りは語らず、誤った法規にとらわれず高い道理を通して訴える。生産者である
農民は、破壊者である軍人に人間性において優っているという自覚を堅持する」というもので
ある。現在基地は、島の三十パーセントに減少したが、阿波根さんは今もこの姿勢を貫いて基
地完全撤廃を訴え続けている。
 阿波根さんはこれまで日本軍、米軍、琉球政府、日本政府などの権威に翻弄され、裏切られ
てきた。農民として、人間としての自らの権威が最強の砦となった。(MM)
                         1992年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
数回前のこの欄に、戦時の制服の怖さは、実感としては次世代に伝えきれないといったが、写真や物や文章で、戦争の愚かさ、悲しさを伝えることは出来る。阿波根昌鴻さんの遺した写真集や資料館にはこれが残っている。
阿波根さんは、誰かを敵として闘ったのではなく、間違っていることを間違っていると言っていただけで、相手が自ら変わることを促していた。
愚かさに気づいてきた世界は、次第にこちらに向かってきているような気がしてならない。
(2016年6月27日 増田圭一郎 記)

2016年6月23日木曜日

ベラルーシ共和国


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年10月号)

ベラルーシ共和国


 先日、ベラルーシ共和国(旧白ロシア)の原発事故の被災者救援団体「ベラルーシ社会エコ
ロジー同盟・チェルノブイリ」の会長ヤコベンコさんら、四人の代表団が日本を訪れた。帰国
の前夜、この四人から直接ベラルーシの情況を聞く機会を得た。
 ベラルーシ共和国はウクライナ共和国の西北に隣接した国で、人ロー千百万人を擁している。
この国は六年前、隣国ウクライナの国境近くにあるチェルノブイリ原発の事故で、たまたま風
下側に位置していたため、事故で発生した放射能物質の七十パーセントが領土に降り注いでし
まった。今、危険に曝されている人は二百万人に及ぶという。
 当時ソ連邦は、各地の保健関係者を集めて調査報告会を開いたが、汚染の実情については厳
しい箝口令をしいた。そのため、ベラルーシ国民は実態を知らぬままに、汚染地帯に住み続け
ることになる。そして三年後、ソ連邦解体に前後して次第に情報が増えてきた。放射能被ばく
の特徴は、被ばく後六〜七年でガンや白血病として顕在化するので、最近の二年間の間に汚染
の情報公開と折り重なった形で恐怖が国民を襲っている。事故当時二〜四歳で、甲状腺が最も
発達する時期にあった子供達が早く発病し、死亡している。今では年齢を問わずガン患者が急
増しているが、救援対象の子供は二十万人。転地療養で免疫力が高まって元気になることは、
日本での短期療養でもわかっているが、国外療養だけではとても間に合わない数である。
 今、この救援同盟は汚染の少ない首都ミンスクに、この子供達のためのサナトリウムを作っ
ている。一人一ヵ月の療養費は三千五百円。二十万人の里親が求められている。(MM)
                         1992年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
翌1993年に、「湧」増刊号で『たった一回の原発事故で』が出版されますが、この前後でも巻頭言では紹介されないので、書き留めます。『たった一回の原発事故で』は、ベラルーシのお隣、ウクライナのお母さんたちが、子どもたちを日本への国外療養に送った後のお礼の手紙を綴ったものです。子どもたちにたいへんな健康被害が出ていることを書かれています。ぜひご一読ください。(2016年6月24日 増田圭一郎 記)

ギョウコウ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年9月号)

ギョウコウ


 経済不況は長期化している。株価の暴落が底知らずに進んで、証券業界の取引きはかなりピ
ンチに追い込まれているらしい。その証拠に私のところにまで利殖の勧誘電話がかかってくる
ようになった。きのうも忙しい仕事の最中にOO貿易というところから電話があり、突然財テ
クの説明が始まった。断りの言葉をはさむ余地もなく喋り続けるので、しばらく呆然と聞いて
いたが、相手の話が一段落したところで思わず「うちは財テクはやっていません。出版社です。
うちはギョウコウはやりません」と言うと、一瞬むこうからの言葉がとだえた。そこで私が「ギ
ョウコウという字を知っていますか」と問いかけると、ひどく狼狽した様子で「知りません」
との返事。「では、辞書で調べてみて下さい」と言うと、「はい、調べてからまた電話します」
と電話は切れた。
 我々日本人の多くは経済成長の中で、いつのまにか僥倖心が身についてしまった。バブルが
はじけたといって、これを一時的な経済のやりくりの失敗だととらえようとしているが、文明
自体がもともと僥倖心の上に築いた脆弱なものである。石油をはじめ天然資源の自然からの一
方的収奪、植民地をはじめとする経済格差を利用した労働力の収奪など、やがて行き詰まるこ
と明々白々である。これらは自らの汗によらないで生活を豊かにしようという僥倖心にほかな
らない。
 我々がテレビの画面で見たあのロサンゼルスの暴動は、一時的、局地的事件として忘れかけ
ているが、M・ファーガソン女史は、今後を暗示した地球的事件と予感している。
 大きなバブル文明は環境問題、民族問題としてすでにはじけはじめている。(MM)
                         1992年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
僥倖とは、今の言葉で言えば、タナボタ、当たってラッキー、でしょうか。でも、思いがけない幸運といったいいイメージがあります。
でも、僥倖心を煽ることははびこっていますね。
ラクして儲けたいと思うことは、当然の権利と思っている人も多いような気がします。
ラクして儲けるとその裏で苦しむ人が出るのは、原理なのですが。
(2016年6月23日 増田圭一郎 記)

2016年6月22日水曜日

劣化する農地


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年8月号)

劣化する農地


 世界的な規模で農地の生命力が低下している。日本ではいわゆる金肥といわれた化学肥料の
効果を農家に見せつけて、科学農法時代に入ったのが約四十年前である。同時に防虫除虫の問
題が発生して次第に農薬の使用が加速する。このように技術やお金を投入して農業改良に尽く
してきたが、どうしたことであろうか、四十年前にくらべて農地に地力がなくなった。我々の
目で見ても、ふかふかであたたか味のあった同じ畑が、かたまりがごろごろした生気のない土
にかわっている。
 熊本の中嶋常允氏はこのような農地の劣化に早くから注目し、土壌の研究を総合的に行って
きた。氏は、化学肥料農業は微量元素に関しては全くの“取りっぱなし農業”であるという。
つまり昔の堆肥農業はすべての元素成分を元の土に還元していたが、化学肥料農業は一時的に
効果のあるものだけを補充して、捉えにくい微量ミネラル元素などは無視してきた。劣化した
農地に有機農法といって堆肥を施しても、長年にわたって失った微量元素は補うことができな
い。仮に昔ながらの人畜の糞尿を使った堆肥農業に戻っても、元どおりに回復するには半世紀
以上もかかるだろう。元素のバランスを欠いた劣化農地は、生命力の弱い作物を作るから防虫
農薬が必要条件となる。このような作物を食べ続けている人間は、農薬の害の他に微量元素欠
如により次第に免疫力を失う。
 近代科学農法の先進国アメリカでは農地の劣化は深刻で、農作不能地帯が広がっているとい
う。そして化学肥料を導入しはじめたアジア全域が、アメリカや日本と同じ道を辿っている。(MM)
                         1992年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
数千万年、それ以上に私たち生き物を育んでくれた大地を人類はたった数十年で、劣化させてしまいました。数億年きれいにしてきた空気を、ここ数十年で一気に汚染しました。
しっぺ返しが来ないわけはありません。本気で地球直しをしないと。
(2016年6月22日 増田圭一郎 記)

2016年6月21日火曜日

二十七年前の杞憂


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年7月号)

二十七年前の杞憂


 二十七年前のある日、親しい友人が私の本棚をみて「この日本の歴史シリーズは大切にとっ
ておくといいね。この時代に書かれた日本の歴史は学者の良心が自由に発揮されている貴重な
本になるかもしれない。これからは再びかつてのように歪められた歴史が綴られるような時代
がくるような気がするよ」と言った。私はその時、胸に一抹の不安はよぎったが、それは取越
苦労が過ぎないかという思いで問いていたのを思い出す。その友は七年前に他界したが、最近
の日本は彼の予感通りに動いてきたように思える。その当時の私は、武器を携えた自衛隊が海
外に出ようとは想像もできなかった。むしろ丸腰の日本を倣った国が一つ二つと生まれていく
ことを現実の問題として描いていた。
 ところがPKO協力法が成立したとたんに、にこにこと愛矯のいい制服姿がテレビや新聞に
しばしば登場するようになった。やがて海外に出た自衛隊員に犠牲者が出はじめると、この笑
顔は次第に居丈高な威厳に満ちた顔になって、国民に奉仕と犠牲を呼びかけるようになるのだ
ろうか。それは私の取越苦労だろうか。こわい制服の顔を知っているのは私たちが最後の年代
に属する。
 最近のマスコミの番組や記事をみていると不自然な報道が目立つ。町からもう良心の灯が消
えはじめていると思えてならない。今の日本は経済のバランス取りに気をとられて、人類生存
の基本的バランス感覚を失っているといったら杞憂に過ぎるだろうか。(MM)
                         1992年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
この文章が、24年前だから、そのときの杞憂は51年前ということになります。ちょうど私が生まれた年です。
この杞憂は、まさに現実のものとして目の前にやってきました。
こわい制服の顔は、きっと見た人しか分からず、見ていない私たちは、次の世代に実感としては伝えられません。しかし、現在の状況をしっかり見ていると実はすでにこわい制服の顔が見えていることに気づきます。
先日も書きましたが、来月出る『日本の民主的革命 ドイツのガラス張りの官僚制度から学ぶ』(関口博之著)は、それが描かれています。
(2016年6月21日 増田圭一郎 記)

追われる共生の地


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年6月号)

追われる共生の地


 北海道の知床半島はまだ自然の原生林を残し、半島の入口付近でも野生の鹿やキタキツネに
たびたび出会い、幾種類もの小鳥たちの姿を見ることができる。ユースホステルの主人に海か
らの熊ウォッチングに行きませんかと誘われた。七〇パーセントの確率で、船の上からヒグマ
の姿をとらえることができるという。あいにくの雨降りで断念したが、ここは日本でも代表的
な野生の王国である。ナショナル・トラスト運動でも知られるように、町をあげて自然の保全
に力を入れている。自然センターの隣に特設された建物の中に、一〇〇平方メートル運動に参
加した人たちの名札がかけられている。知人の名前もたくさん発見して喜んだ。
 北海道は、広大な農作地である十勝平野も果てしなく広がる道東の牧草地も、実は数十年前
まではこの知床半島と同じように、原生林と野生の動物とアイヌの人たちが共生していた土地
なのである。都会からの観光客にとっては、原生林も牧草地も美しく開放的に感じられるが、
牧草地に住んでいる人たちは、樹木があり野生動物がたくさんいた頃のほうがずっと美しく安
らぎがあったと言う。
 伐採と開拓によって、広大な北海道の平地の樹木が僅かの間になくなったということは、す
でに当時から日本は木材を大量消費していたということである。その時代以上に消費が加速し
ている現在の日本が、外国の森林をどれほど大量に侵蝕しているか想像にあまりある。放蕩日
本が、国内はもとより外国の自然環境まで侵している償いを今後どうすればよいのだろう。侵
しているのは動植物だけではない。アイヌの人々をはじめ諸外国の先住民の生活にまで及ぶ。
地球環境サミットに続き、来年は国際先住民年である。(MM)
                         1992年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
ナショナルトラスト運動を知ったのは大学生のとき。ちょうど大石武一さんが環境庁長官で尾瀬の保護などが話題になっていたときです。知床の100平方メートル運動も盛んでした。
あれから30年以上たって用地買収が終わり、これからスタートです。200年計画。どんな原生林になるのだろう。
行ったこともないのに、数百年前の択捉島などを彷徨う夢をよく見ます。
どこまで行っても北の原生林。
(2016年6月20日 増田圭一郎 記)

2016年6月18日土曜日

出産


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年5月号)

出 産


 助産婦の片桐弘子さんに出産の克明な連続写真を見せてもらった。大きな浴槽を使った水中
出産の臨場感あふれるみごとな写真であった。助手の助産婦さんの目で捕らえたもので、芸術
家や専門の写真家が撮ったものでないのがかえって現実感を伝える。この写真を見た私は、あ
る種のショックを受けたのである。
 私は四人も子供をもちながら、一度も出産の現場に居合わせたことがない。妻はいつも私を
留守番に置いて、1人で産院へ行ってしまうので、出産の場面というのは血にまみれた相当の
修羅場なのだろうかと勝手に想像して遠慮していた。ところが最近は、出産に夫が立ち合った
り、積極的に協力するということが三割にも及ぶという。これは時代の変化なのだろうが、一
人も立ち合えなかったことを残念に思っていた。ともかく、この写真は私にとって、まさに初
体験なのであった。
 かつてお産の場は不浄だといわれ、人目から遠ざけられた習慣の中にあったし、最近では、
神聖なる生命の誕生に夫が参加しないのは不自然だという意見もある。ところが、この出産の
写真はそのような私の先入観を一気に吹き飛ばしてしまった。そこには不浄も神聖もなにもな
い。ただ出産という感動だけが伝わってくるのだ。私は正法眼蔵の中の一節を思い出していた。

水かならずしも 本浄にあらず 本不浄にあらず
身かならずしも 本浄にあらず 本不浄にあらず
諸法また かくのごとし  (正法眼蔵)(MM)
                         1992年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
残念ながら、片桐弘子さんの感動的な写真集『生まれる瞬間』は品切れですが、地湧社では自然出産の素晴らしさを伝える本がたくさんります。
一番最近の書籍は『メクルメク いのちの秘密』(岡野眞規代著)。普通の病院の出産から、自然出産専門の医院まで見てきた著者が、お産の素晴らしさを伝えます。
(2016年6月17日 増田圭一郎 記)

主張を超えたまなざし


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年4月号)

主張を超えたまなざし


 イギリスのビーター・ラッセル氏から、氏の最新刊『ホワイトホール・イン・タイム』とい
う本が送られてきた。この本の内容についてはいずれ紹介したいと思うが、この中に特に心に
とまった一文がある。それは、“愛の反対は憎しみというが、そうではなくて愛の反対はジャッ
ジするということである”という氏の見解である。ジャッジするということは審判するとか評
価するとかいうことであろう。とすれば我々はなんと愛なき世の中に生きていることであろう
か。教育からはじまって科学、産業、政治、経済、あらゆる現代の生活がジャッジすることで
固められている。催眠術にかかったように評価の世界にどっぶりつかっている。
 数年前に余話翠巖老師にお願いして、唯嫌揀擇(唯揀擇を嫌う)という字を書いていただい
た。この字はよりごのみしないという意味であるが、評価のない世界に住んだ時に全宇宙との
調和が実現しているということなのだと思う。
 六月にブラジルで開かれる地球サミットでは、全く意見の異なる立場の人達が参加しようと
している。例えば、原子力発電を推進することによって地球をクリーンにできると主張する人
達と、原子力の使用は破局的に地球を汚染すると訴える人達である。森林伐採や人口などにつ
いても対立意見がある。しかし、今一番重要なことはどんな意見にも耳を傾けることであろう。
つまり地球規模のグラスノスチである。ビーター・ラッセル氏は前著『グローバル・ブレイン』
で、人類が地球をグローバルに意識する力をもつ時代の到来を予言した。それぞれの主張を超
えたまなざしが要求される。(MM)
                         1992年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
聖書には、「愛」と「赦す」という言葉がたくさん出てきます。基本的にどちらもジャッジのない世界の次元の言葉だと思います。逆に言うとジャッジしている世界では、愛はないともいえます。
(2016年6月16日 増田圭一郎 記)

ポールさん一家


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年3月号)

ポールさん一家


 熊本県の深い山の中にポールとその三人の子供達が住んでいる。一番上のお姉ちゃんは九歳、
二番目の坊やは七歳。三番目は五歳の女の子である。イギリス人のポールは二年前に日本人の
奥さんと別れた。
 彼は十年前に自給自足をめざしてこの山に入り、数反の田畑を耕して生活を始めた。みごと
に手入れの行き届いた茶畑や田んぼ、几帳面にきちっと造られた牛舎や家、どれを見てもポー
ルがいかにエネルギッシュで働き者であるかがわかる。
 夕方になって、さて次は搾乳の時間だという段になると、子供達はめいめいに毛糸の帽子を
かぶり、マフラーをしっかり首に巻いて、手袋をはめ、父親の後について牛舎に向かう。夕闇
にちらちらと雪が舞い、あぜ道を四人が一列に並んで歩く。牛舎に着くと父子四人は、まるで
一つの生き物のように連動して手際よく動きまわる。ポールがわら束を投げ降ろすと、ちびち
ゃんがそれを抱えて走り出す。坊やがバケツに水を汲んできて床を流す。お姉ちゃんが小さな
手で乳しぼりを始める。次いでポールが搾乳器の調整を始めると、横からタイミングよくドラ
イバーが差し出され、別の小さな指がネジをつまみ取る。お手伝いをしている子は一人もいな
い。みんな一人前だ。あっという間に一仕事が終わり、団らんの夕食となる。
 夕食後、ポールは最近急死した臨月の牛のことを話しながら、家族の一員を失った悲しみに
耐えきれなくなって、泣きじゃくった。それを小さな六つの瞳が黙って見上げている。
 ポールの一家のくらしを見ていると、実体のある生活の中で確実に燃焼している生命を感じ、
教育とか子育てなどという言葉に虚しさをおぽえてくる。(MM)
                         1992年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
とても素晴らしい生活。「大草原の小さな家」のお父さんに憧れていた私は、とても羨ましい。
昨夜見た夢はそんな生活でした。山の友だちの家で一日遊んで、夕方になると張ったロープに滑車を付けて延々と山のなかを1㎞くらい下って家に帰る、不思議な夢でした。
(2016年6月15日 増田圭一郎 記)

2016年6月14日火曜日

待つ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年2月号)

待つ


 東京の神田駅前の横断歩道は、信号が青に変わった時にはすでに歩道いっぱいに人が歩いて
いる。青にならないうちに渡り切らないと気分が悪いという人がいるくらいだ。もう三十年以
上前になるが、よくはやっている饅頭屋があった。店に入ると、すぐ饅頭が追いかけてきて、
客を追い越して客より先にテーブルに置かれる。その勢いにおされて、口の中がやけどしそう
になりながら、熱い饅頭を食べる。だから客の回転はすこぶる早かった。今でも神田には、二
階の客の状況をテレビで見て、待ち客を上へ下へと回しながら寿司を握っている店がある。客
を回転させるために酒は1人1本以上出さない。
 日本は忙しい国だ。なんでもテンポが早い。
 欧米へ行くと、空港の受付などでは、みんな実にのんびりと順番を待っている。カナダであ
る催し物に参加した時、前で受付手続きをしていた中年のご夫妻が、受付嬢に愛犬の写真を見
せて自慢話をしていた。受付嬢も負けてはいない。自分も愛犬の写真を取り出して説明を始め
る、といったぐあいだ。犬とは全く関係のないイベントで、まして長蛇の列になっているのに
である。やっと私の番がきたので、無駄話の隙なぞ与えないぞと思って臨んでも、そんなこと
はおかまいなしに受付嬢は「そのカメラは日本の最新のものか、いくらするのか」などと次々
と質問してくる。そのようなことを何度か経験するうちに、最近はそのペースに慣れてきて、
手持ちの土産話を披露することができるようになった。もともと待つという時間の存在自体が
あやしい。待つという感覚がなくなったとき、創造の時があらわれてくる。(MM)
                         1992年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
Watched pot never boils.見られている鍋は沸かない。英語のことわざですが、そのとおりですね。目をそらしているといつの間にか沸いているのに、待っているとなかなか沸かないような気がする。人間の感覚は不思議です。
子どもの成長もイライラさせられることがままあるけれど、いつの間にかできるようになっているんだよな。
(2016年6月14日 増田圭一郎 記)

2016年6月13日月曜日

本流


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1992年1月号)

本 流


 鳴門海峡の渦巻は潮流の変化によって起こる。大きな船の上から見ていると、大小の渦巻の
ほかに大きく逆流する海流があるのがわかる。東欧の変化や日本の政治経済の現状は、この渦
流に翻弄されている舟の姿に似ている。
 三年前にリトアニアを訪ねた折、この国の有名な予言者が二年後の一九九一年に独立すると
予言していた。半年後にベルリンの壁がなくなるなどとは考えもしない時で、とても信じられ
ないことであったが、翌年の九〇年には独立を達成してしまいそうな勢いになった。それでも
独立したのは予言通りの九一年であった。このような潮流の変化は、みる人がみれば明確にみ
えるものなのだろう。
 ソ連邦解体のきっかけを作ったのは、チェルノブイリの原発事故とそれから始まったグラス
ノスチだといわれる。このような大きな潮流をつかむためには、共産主義が権威を失ったとい
うより、近代文明社会の構造そのものの権威が失墜したとみる方が的確だろう。ところが失墜
している近代社会の構造そのものを維持しようとして我が国の政府は、PKO法案や貢献増税
などを持ち出した。それを廃案にするとかしないとか、日本丸は渦の中を右往左往しているば
かりで、本流をつかめずにいる。この新年になってどんなに無謀な法案がでても不思議はない
ありさまだ。日本国そのものの存在を凝視しなければならない正念場である。
 さらに今年は国連が主催する地球環境サミットが開催される。この開催をめぐり、すでに先
進国と発展途上国の間に真っ向から主張の対立がみられる。潮流とは反対向きの先進国船団の
実像がくっきりと浮かび上がりそうな年であり、世界の正念場である。(MM)
                         1992年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
硬直した冷戦状態から、90年代は世界が動き始めました。大きくは今もその動きの延長だと思います。このときの正念場がいまも続いています。世界が、エセ民主主義で踊らされていますが、いよいよ本格的に開かれた市民の時代が来そうです。来月の新刊『日本の民主的革命 ドイツのガラス張りの官僚制度から学ぶ』(関口博之著)は、ドイツのナチスやその前のワイマール憲法を引き合いに出しながら、実に見事に今の日本の状態を喝破しています。お楽しみに。
(2016年6月13日 増田圭一郎 記)

2016年6月10日金曜日

癒し


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年12月号)

癒し


 旧友Tさんの母上Mさんが亡くなられた。享年八十一歳であった。その家族の愛情に包まれ
た静かな死に、私は今深い感動を覚えている。
 Mさんは三年前に胃ガンと診断され、あと一年の命と宣告されたが、Tさん兄妹は本人には
知らせず目立たぬ看護を続けた。そのことが母上の病の進行をくい止めていたのであろうか、
Mさんは畑仕事、家事、知人親戚とのつき合いなど、病人とは思えない生活を三年間送った。
ところが、この七月になって急に食欲がなくなって寝込む状態になった。Tさん兄妹の更なる
手あつい手当の甲斐あって小康状態が三ヵ月続いた。そして十月初めになって、今まで嫌って
いた入院を、小さな病院ならと、Mさん自ら希望し入院することになった。
 いくつかの病院に断られた後、Tさんの願いを受け入れてくれたのはO医院であった。すぐ
上の階に院長の住まいがある角部屋の気持ちのいい病室が与えられ、その窓からは夕景色のき
れいな山々が眺められた。Mさんの病状はもう時間の問題であった。O医師は患者や家族の話
をよく聞き入れて、強力な治療を避けてくれた。親戚知人の見舞いの時期を助言し、家族の看
護の環境を整えてくれた。そうして入院一ヵ月後にMさんは安らかな眠りにつかれた。
 Tさんは心のどこかで早い時期にもっと良い治療方法があったのではないかと思いながらも、
この医院においては必要かつ充分な加療が施されたと感謝の念を抱いている。
 そして家族にしかできない細やかな看護を最後まで妨げなかった医師の配慮は、患者や家族
に真の癒しを与えたと私は感じている。(MM)
                         1991年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
千島学説研究会で、ガンの患者やその治療にあたる医師、ケアをする方々の話をよく聞きます。
ターミナルケアやスピリチュアルケアは、今後ますます必要とされるのと同時にさまざまな取り組みが始まっています。
2025年問題といって、高齢者の介護がオーバーフローしてくる時代に向けて、小さな診療所で往診をされている先生方を中心に在宅介護の新しい取り組みが始まっています。

(2016年6月10日 増田圭一郎 記)

ヴェンチレーション(換気)


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年11月号)

ヴェンチレーション(換気)


 毎年寒くなりはじめると気になるのは建物や乗り物の換気のことである。
 空気調節といえば温湿度のコントロールだけを考える人が多いのではないかと思う。実は、
密閉された建物や乗り物の中では塵埃、微生物(病原菌も)、炭酸ガスをはじめとするさまざま
なガス、臭気、煙などの夾雑物が増加する。温度や湿度は人間も感じるし機器も検知するから
調節しやすいが、空気汚染の方は感知も検知も難しく、ついなおざりにし易い。換気の基準は
定められているはずなのに、夜どおしたばこの煙が漂っているホテルが多い。最近の大きな建
物は密閉構造で強制換気の方式であるから、管理が徹底していないとすぐに汚染する。
 さて、我々をとりまく生命環境は、意識にのぽるとのぼらざるとに拘わちず無数の要素に支
えられている。五感だけでは不充分であり、感性や意識をフル動員しても、環境要素を操るこ
とは不可能である。それなのに限られた要素をとりあげて快適空間を作ろうとするから、積極
的になればなるほど多くを失う。冬を失い、春を失い、夏を失い、秋を失う。そして体を蝕む。
 どうも人間の積極的行為というものは、限られた条件や要素にとらわれ、他は切り捨てたり
忘却しがちになるから、全体のバランスを失うことになるらしい。恋人を求めて恋心を忘れ、
グルメを探求して味わいを忘れ、ファッションを追って装いを忘れ、建物を造ってすみかを忘
れる。
 都会の空気は汚れているが、大方の建築物の中の空気よりは外気の方がずっとましである。
窓を少し開けて風を待てばよい。(MM)
                         1991年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
ロングセラー『自然流育児のすすめ』の著者、真弓定夫先生は薬を出さない、注射をしない医者で有名です。そのなかでもことさら言っていることは、外気と遮断されたところで子どもを育ててはいけないとです。
梅雨に入り蒸し暑い日が多くなってきますが、私はクーラーの効いた部屋より風通しのいい家が好きです。
(2016年6月9日 増田圭一郎 記)

2016年6月8日水曜日

異文化の受容


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年10月号)

異文化の受容


 ソ連が共産党独裁であった二年前、私はタクシーでモスクワの市内見物をしていた。暑い日
であった。ビールが飲みたいと思い運転手に尋ねたところ、市内ではアルコールを出す店は一
軒だけしかない、ただしその店はマルクしか通用しないという。なぜマルクなのかと聞くと、
ドイツ人はビールがないと死んでしまうからだと大まじめな顔で答えた。
 いま日本には世界中の様々な国から多くの人が集まってきているが、モスクワのビールのよ
うに習慣や法律を変えてまで、外国人を受け入れるために環境を変えようとしているだろうか。
新聞やテレビで見る限りでは、安い労働力を得るという目先の利益が先行していて、外国人に
とっては住みにくい状況にあるように思う。だが少し長い眼でみれば、物質的には豊かな国で
あるから、双方の努力により、衣食住などの表面的な問題は徐々に改善されていくだろう。
 しかし、精神文化に関しては少し事は複雑になる。宗教に関していえば、宗派宗教は政治や
経済との構造的な関わりによって人々の間に利害や対立を生みやすい。つまり政治や経済の要
求によって宗教の姿が化けているわけだ。それだけに他民族や他教徒を理解するのは極めて難
しい。
 これから日本人である私たちが世界中の人々を受け入れ共生するためには、宗教が重要な要
素になろう。化けている他宗教を研究したり、理解しようとしても混迷を深めるばかりである。
結局自らの心の井戸を掘り下げていくしかない。宗教の本質もそんなところにあるように思う
のだが。(MM)
                         1991年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
伝統や文化を守ろうということがよくいわれますが、それは誰のためにあるのでしょう。その対象を線引きしたときに、対立が起こるのではないでしょうか。宗教も同じです。これを超えることこそ新しい時代だと思います。個と集団の対立と同じレベルで乗り越えるときが来ています。
(2016年6月8日 増田圭一郎 記)

2016年6月7日火曜日

ビジネス音痴と生命音痴


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年9月号)

ビジネス音痴と生命音痴


 隣国のソ連で大きな変革が起こっている。僅かずつではあるがこの国の人々と交流を続けて
いる私にとって、ソ連体制の急変は現実味をもって伝わってくる。私たちの交流の主題は、ペ
レストロイカ以降急進展していた環境保護の問題であるが、これは経済問題以上に難しい。
 ところで、ソ連の人々と付き合って当惑してきたことは、この国の人の多くが、事務的な手
続きになると些細な事柄でも決定ができず、仕事が遅々として進まないことである。食事をは
じめ、日常生活ではおおらかで気配りよく親切であるのだが、新しい仕事で個人的判断や意志
決定が必要となると途端に流れが止まってしまう。このような主体的に仕事を運べない人々の
集積が、この国の経済破綻をもたらす大きな原因であったのかと思う。ソ連人のビジネス音痴
の原因は、長い独裁体制下で身についた権威への依存心による自主性の不足によるのか、ある
いは自由なき境遇への無意識な反抗心のなせるわざなのかは分からない。いずれにしてもソ連
の経済破綻が、改革を早め自由への突破口になるかもしれない今日の状況では、ビジネス音痴
は大きな知恵の力であったのかもしれない。
 ひるがえって日本を含む西側の自由主義諸国の状況はどうであろうか。ソ連とは異なる形で
権威への依存心が強いのに、こちらは指摘してくれる先進国が存在しないので始末が悪い。そ
れは、金銭経済や物質主義という権威への強烈な依存心による地球全体の生命をみる心の主体
性、自主性の喪失である。その証拠に環境問題解決への創造的、抜本的アイディアと行動が極
めて少ない。これを生命音痴と呼びたい。(MM)
                         1991年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
ここで言っているビジネス音痴は、今の日本で確実に進行している気がします。やらされ仕事に慣れてくると、主体的に仕事を運べなくなります。
主体的な仕事に対する喜びは、結構深いところにあるので、感じるまでにある程度時間がかかります。
生命音痴はもっと深いところにあるので、もっと時間がかかるような気がしますが、こちらは意識を手放すことがキーなので、感性があればすぐに喜びにつながるかもしれません。
(2016年6月7日 増田圭一郎 記)

2016年6月5日日曜日

純粋学問と実用学問


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年7・8月号)

純粋学問と実用学問


 用即美という言葉がある。機能的、実用的なものは美しい、あるいは美しいものは機能的、
実用的であるということであろう。これに対して、そうではない、美は美そのものとして追求
すべきであって、目先きの現実にとらわれない美意識が大切であるという人もいる。
 また、哲学の世界でも一般の生活感覚との接触を嫌う学者が多い。一旦実用の世界と交流を
するとその学問の主流からはずされていくことがある。確かに芸術にしても哲学にしても時代
にとらわれたり、迎合しすぎると、元も子もなくなってしまう。
 だいぶ前から私は、古代中国の思想家である老子についてよく知りたいという思いがあって、
いつか老子研究者の先生方に“生きている老子思想”を語っていただくシンポジウムを開きた
いと考えていた。この会には学識者だけではなく、老子に関心をいだいている一般の人々の参
加が重要だと考えている。幸い中国の老子研究者と接触が得られ、「老子の思想の現代における
価値」というテーマでシンポジウムをやりたいと話すと、このやや実用的な匂いの話に、案の
定難色を示された。長時間のやりとりの中で私が、「遠い星に規準を合わせて、しかも大地にし
っかり立って生活している人との交流は学問の普遍性を損なうどころか励ましになるはずだ」
と言うと、三人の哲学者が、それなら日本でやってみましょう、と答えて下さった。いま日本
の老子研究者の参加を呼びかけている。
 純粋学問だ、やれ実用学問だと理屈をこねている私たちを「無為自然」を唱える老子が見た
ら何と言うだろう。大声をあげて笑い出すに違いない。(MM)
                         1991年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日から、総合目録をリニューアルするために、かなり前に出版した押田成人神父の『孕みと音』を読み直しました。押田神父の言っていることは徹底して、純粋学問や実用学問などといって分けていることへの批判です。真実はひとつ。そこをしっかりと見なさいといっています。『孕みと音』は、ちょっと経年劣化していますが、押田神父の本で唯一在庫があります。ぜひおすすめ。
(2016年6月6日 増田圭一郎 記)