2016年2月16日火曜日

後始末


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年9月号)

後始末


 この夏は全国的に大雨の涼しい日が続いたが、アメリカでは逆に猛暑の干ばつで農作物がと
れなくなっており、今年は地球規模の異常気象だという。北半球の気圧配置をみると、ちょう
ど北極を挟んでシーソーがアンバランスになっているような状態にある。しかし自然のバラン
ス作用は人間の思惑を越えて、一時的には禍いに見えても、長い歴史の流れからみれば次の世
代の恵みになってきた。流し、壊し、埋め尽くし、腐敗させ、風化する、という死への誘いも、
次の生への準備となる。人間が気付こうが気付くまいが大自然は後片付けをし、準備をしてく
れてきた。
 以前、私は親元を離れひとりで暮らすようになったとき、夜帰宅すると片付いていない部屋
を見てがく然とした。斜めに置いた座布団は斜めのまま、座布団が自分で歩いて部屋の隅に片
付くことは決してない。こうしていままでは家族の誰かが始末してくれていたことに気付いた
ものだ。人類はとうに自然という親元を離れ独り暮らしを始め、誰も片付けてくれるひとがい
ないのに、あいも変わらず散らかし放題をしている。今や壊れたり腐敗することのない廃棄物、
回収不可能な大量の炭酸ガス、生命を保護している上空のオゾン層を破壊するフロンガス、そ
して核汚染物質など自然の力では手に負えないものが溢れている。このまま進めば人間は環境
保全のために大きな負担を背負い、病と重税に苦しみながら日々重労働に明け暮れするように
なることは明らかだ。しかし大自然の力は計り知れない。思いもかけない解決能力を人間にセ
ットしているかもしれない。 (MM)
                               1988年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
後始末は、タイミングを逃すととてもやりにくくなります。一番いいのは、すぐその場でやること。そうすれば、事が片付くだけでなく、心から気になることをひとつ消せます。
もうひとつ大切なのは、後始末を「きちん」とすること。並べ方、揃え方、結び方をきっちりとすることは、心を整えることになります。
でも、心が雑然としているとなかなかできないですね。
先日亡くなった森のイスキアの佐藤初女さんは、この丁寧に生きることを全身で示してくださっていました。 (2016年2月16日 増田圭一郎 記)

2016年2月15日月曜日

安全指南書


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年8月号)

安全指南書


 海上自衛隊の潜水艦との衝突による遊漁船転覆沈没事故は、多くの犠牲者を出す大惨事とな
った。事故原因については、順次明らかにされていくであろうが、この事故は我が国の民主化
のレベルの低さを如実にあらわした事件であると思う。横切れると思って回避行動の遅れた潜
水艦側と、一歩道を譲ろうとした遊漁船の双方が問題の焦点になっている。ここで問いたいの
は、航行規則の下で平等であるべき両船の船長の心の中に傲慢と卑屈という不平等意識が存在
していなかったかということである。回避義務や初期救助を怠った潜水艦々長や海上自衛隊の
誠意を欠いた行為については、その責任を厳しく追及しなければなるまい。この点は多くの指
摘が報道されているので、敢えて触れずにおこう。
 私はむしろ、事故時に遊漁船々長が安易な譲歩をしていたとしたら、そこを問題にしたい。
確かに黒い艦隊の行進は無気味で恐怖心をかきたてるであろう。しかし、本当に平等の原則を
個人のレベルで十分に身につけて堂々と行動していたら、あるいは今度の事故は回避出来てい
たのではないかという思いがどこかに残る。
 ふりかえって我々は日常生活の中で、官憲や原発に代表される産業への過剰な特権付与など
一歩譲っているうちに、周辺に危機を呼び寄せてはいまいか。強者のおごり以上にわれわれ国
民の長いものには巻かれろ式の卑屈な心こそ恐れなければなるまい。
 日本国憲法は公務員の横暴を禁じ、国民に徹底した平等主義への自覚を求めている。この機
会に、個人生活から国家運営に至るまでの安全指南書として推奨したい。 (MM)
                               1988年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
船や飛行機の事故で、思うことがあります。
昔、飛行機のライセンスを取るために訓練していたときのこと。航空法の勉強をしていて、徹底した合理性を学びました。
そこで、印象的なことは小さくて原始的なものほど、原則的に空の優先順位が高いことでした。ですから気球は最優先です。ジェット機のようなものは、ずいぶん後になります。
強い者が威張るのと逆ですね。
それと、空を飛ぶ人の仲間意識と平等意識はとても高いように感じました。エアーマンシップといいます。またちょっとかじっただけですが、船の世界も似た雰囲気を感じました。
自然の合理性を追究すれば平等があたりまえなのに、地上では合理性に矛盾をしても欲望に走ってしまいますね。 (2016年2月15日 増田圭一郎 記)

2016年2月12日金曜日

行動の多様性


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年7月号)

行動の多様性


 原子力発電所の存在に疑問を投げかけた『まだ、まにあうのなら』が四十万部を突破した。
それに応じて意見も百出している。自分も原発に疑問をもつのだが、実際に電気を使っている
のだから正面から原発やめろと言いきれない。極端な場合は自分の夫は原発産業に直接関わ
っているがその仕事を簡単に変えるわけにはいかない。と、現実の矛盾に悩む人にも出合う。
一方運動熱心な人達の中には原発の作業現場に直接メッセージを送って原発をやめようと唱え
る人もいる。
 しかし私は原発を運転している人に即刻運転をやめろということや、現実の矛盾を一挙にな
くさなければならないという性急な行動に疑問を感じる。
 例えば武力は一日も早くなくしていきたいが、自衛隊員が訓練をサボつたとしたら喜べない。
また政治家が理想とは逆の方向を向いていても、われわれが歴史の上でそのように希望したの
だと一旦は肯定しなければ、どんな明日を期待してもそれが成り立たないのと同じであると思
う。
 かつて原発は花形産業として優秀な人材を集めたが最近はそういう人を集めにくいという。
これはたいへん危険で恐ろしいことである。造ってしまった原発なのだから、今こそ優秀な人
材が馳せ参じて運用してくれなければ困る。その方が撤去も安全で早かろう。
 明日のために反原発運動をする人、今日の安全のために原発を運転する人、一見相矛盾する
行動の多様性が同時に受け入れられたとき、脱原発への社会の変容も早まるに違いない。 (MM)
                               1988年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
ここに書いてあるように、現状を憂うときに、一旦はそれを受けとめ現実を直視しないと、改善への対処を間違えると思います。核廃絶に向けては、かなり高等な研究が必要になるでしょう。それと今後、すでに作ってしまった核廃棄物は数万年に渡って管理し続けなければなりません。石油や石炭など埋蔵エネルギーは、その管理のために大事にとっておかなくてはならないのではないでしょうか。 (2016年2月12日 増田圭一郎 記)

2016年2月10日水曜日

日本国憲法の時代


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年6月号)

日本国憲法の時代


 先日、鹿児島の盛泰寛さんという方から、日本の憲法の条文を思い切って並べ替えをして再
編した、カセットテープがとどけられた。それを聴いて、憲法の条文がこんなに心に響くもの
であったのかと改めておどろいた。それは何故だろう。盛さんの編集の巧みさにもよるのだろ
うが、やはりそういう時代になったという実感が大きい。

 そんなことを考えていた今日、その思いを拡大するようなテレビ報道があった。アメリカの
レーガン大統領が核兵器軍縮会議のためにモスクワ入りする模様が画面に現れ、出迎えたゴル
バチョフ書記長の挨拶の第一声が「今や人類は運命を共有している」という言葉であった。短
いメッセージの中でこの言葉を二度使っている。核兵器を大量に抱えている彼等がその恐ろし
さをもっとも良く知っているからであろう。それだけではない、経済も情報も核汚染もとめど
もなく国境を越えてしまい、腕力でバランスをとることに限界がきていることも承知のはずだ。

 もう十年も前になるが、私は葉山の海岸に住んでおられた羽仁説子さんをおたずねして、憲
法の草案が作られたころの話を伺ったことがある。戦後、憲法制定の時、羽仁さんは市川房枝
さんらとともに夜を徹して草案作成の作業にあたった。「歴史上初めて腕力を前提としない国家
が誕生する」その時の興奮を再現するように羽仁さんはお顔を紅潮させておられた。それから
十年、世界環境は急変した。腕力主義を排した日本の憲法が、政治や思想の変化に先行して、
生活実感としてはっきり人々の意識に捉えられる日がきている。 (MM)
                               1988年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
80年代は、自民党が憲法改正を党是として掲げて創立以来、改正推進についてもっとも引いていた時代だったかもしれません。
その後30年、自民党は着々と改憲に向けて進み、ついにあと一歩というところまできました。
先週、『誰のための憲法改「正」?  -自民党草案を読み込むワクワク出前講座』(馬場利子著)を刊行しました。
311で絶望していた静岡放射能汚染測定室の馬場利子さんが、一念発起して、2年以上にわたって憲法出前講座をしてきたものをブックレットにしました。
ぜひお読みください。 (2016年2月10日 増田圭一郎 記)

2016年2月9日火曜日

自らが変わる


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年5月号)

自らが変わる


 四月二十三日と二十四日に行われた「原発とめよう一万人行動」は予想をはるかに上まわる
盛りあがりをみせたと報道された。
 その記事の中で、集まった人々に対応した科学技術庁のコメントに「新しい相手が多いので
はと身構えていたが、話し合いの顔ぶれは従来と同じで拍子抜けした」というのがあった。彼
らは、原発に反対の立場をとるこの人達が、主婦を中心とした100万人の署名を集めたり、
集会のもち方が従来の反対運動とはちょっと趣きを異にしていたという状勢から、どんな人が
どんな方法で新しい原発反対の意見を携えてくるのか、少なからず不安と期待をもって、どう
対応したらいいか、身構えていたのだろう。
 たしかに最近の原発への危惧と不信の動きは、子を持った婦人層を中心に、これまでの運動
にない勢いで伝播している。次代の生命に対する責任を感じているこれらの人達は、知的な運
動の横断的広がりというより、自らのからだの深いところからつのった思いを肌で伝え合って
いる。だから従来通りの交渉やアピールだけを問題解決の手段だと考えている人には、この新
しい層の態度や言語は当分解読できないかも知れない。
 工業化も原発も一夜にしてできたのではない、国民が自らの生活要求の中からいつの間にか
作りあげてきてしまったものではなかったか。とすれば、原発推進への不信の拡大は自らの生
活への疑問でもある。原発は恐いと気づいた人達の多くは、いままでの運動の権利意識の発揚
や、論理闘争という方法を通り越して、自らの生活を根本から問い返し始めている。 (MM)
                               1988年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
この文章を読んで、今回の311福島原発事故後の脱原発運動について思いました。事故後は確かに多くの人が一度は自らの生活を根本から問い返したに違いありません。しかし、5年たっていまどうでしょうか。都会を離れ、生活を変えた人は少なからずいますが、大多数は元とほとんど同じ生活をしているような気がします。都会型の生活をしている人の多くは、自ら主体的に生活を作っているのではなく、都会型スタイルに合わせて、なんとなく流されて生活しているのでしょう。よほど心がけないとこのスタイルから逃れられないと思います。自戒も込めて。 (2016年2月9日 増田圭一郎 記)

2016年2月8日月曜日

青い目の密教僧


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年4月号)

青い目の密教僧


 長い歴史の中で女性を遠ざけてきた真言密教の本山高野山で、外国女性としては初めての尼
僧が誕生した。スーザン・ノーブル・タナカさんが高野山尼僧修道院に入学したのは一年前で
ある。連日朝二時から夜九時に及ぶ百日行など、その修行内容は相当厳しいものであったらし
い。アメリカという論理社会に生きていた彼女にとって、耐え難い問答無用の劇的場面もあっ
たという。それでも落伍せずに卒業して、案じていた私達の前に元気な姿をみせてくれた。
 スーザンさんは、自然豊かなオレゴン州に生まれ、敬虔なカトリック教徒の両親の下で育ち、
地元のポートランド大学で歴史を学んだ後、ニューヨーク大学で映画評論を専攻する。その中
で小津安二郎の日本映画に出会い日本の文化に深い関心を抱くようになる。その後日本の国際
基督教大学に留学し、勉学の傍ら座禅を通じて仏教の世界を知る。帰米後今度は真言密教
に縁を結ぶ。こうして日本の文化に触れて僅か十年足らずのうちに、日本文化の深部まで体当
たりで入りこんだ。
 どちらかというと寡黙なスーザンさんは、映画の話になると熱弁家になる。「ムービーとフィ
ルムの違いわかりますか?ハリウッドなどで作られる商業主義の作品はムービー、人々の生
活の真実を描く芸術作品がフィルム、両者は本質的に違うんです」と彼女は言う。
 このフィルムに夢を描く生活感覚は彼女の宗教生活に如実にあらわれている。いま、アメリ
カのバーモント州には九万坪の農地をもつ道場が彼女の帰りを待っており、宗門の守りの仏教
から、庶民の日常生活にとけこむ仏教へと彼女は自らの実践で示そうとしている。 (MM)
                               1988年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
今から32年前のちょうど今ごろ、当時ニューヨークに住んでおられたスーザンさんとご主人の田中成明氏のお宅で2か月ほどお世話になりました。そのころスーザンさんは、マンハッタンの国連近くの通信社に勤めていました。まさかそのあと、高野山で出家されるとは。今は何をされているでしょうか。 (2016年2月8日 増田圭一郎 記)

2016年2月5日金曜日

縄文人の湧水


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年3月号)

縄文人の湧水


 八ツ岳南麓の信濃境近くには、六千年の昔縄文人が住んでいた。縄文人がこの地域に居を構
えた理由は、何よりもこの周辺には良質で豊かな湧水がたくさんあったからであろう。
 いま湧きでている水は、数十年前に山に降った雨がゆっくりと地層にしみて育まれ、やがて
地表に溢れ出たものであるという。水の温度は一年中ほとんど変わらず、夏は痛いほど冷たく、
冬は湯気がたっていて暖かく感じる。泉の水を飲むのがこの地を訪れる人々の楽しみのひとつ
であり、この泉の真下には森の神父押田成人氏の修道場・高森草庵がある。
 ところが今、この泉は乱開発で危機に面している。ある企業が泉の上方一帯をゴルフ場にし
ようと計画しているのである。この地帯の涵養林を伐り倒しゴルフ場にすれば、たちまち水の
保持力が低下し、土砂や水が表面を流れ環境が変わっていくことは明らかである。その上ゴル
フ場は除草剤、化学肥料などを大量に使うので水は汚染される。だが、泉の水が枯れたり、汚
染されたりするのは数十年後になるだろうから、迂闊にしていると気づかずに子や孫の代が被
害を受けることになる。
 最近、政府は内需拡大策として各地の開発景気を煽っている。ことにゴルフ場づくりは建設
費と会員権の売買など二重三重のしくみで資金が動き、更に地元の生活感覚からみてもまとま
った金や働き口を得るという手近かな富をもたらし、景気拡大にとって格好の材料である。
 このような情勢の中で、泉が人々のいのちにとってかけがえのない意味をもつのだというこ
とを、当事者に気づいてもらうにはどうしたらよいのだろう。押田神父の祈りが聞こえてくる。 (MM)
                               1988年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
30年前にこの話を聞いたときに、雨がしみ込んでから地層に潜って湧き出すまでに30年ほどかかるといっていたので、ずいぶん先の話だなと思っていました。でも、いまちょうどそれから30年ですから、まさにそのころの水がいま湧き出ているころだと思います。そろばん勘定だけで環境問題を考えていると、解決はつかないと思います。子々孫々ひとつらなりのいのちという意識をどう持つかですね。  (2016年2月5日 増田圭一郎 記)

2016年2月4日木曜日

生命を継承するものの叫び


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年2月号)

生命を継承するものの叫び


 生命に危害を加え始めた原子力発電の実状を訴えた本誌増刊号『まだ、まにあうのなら』が
増刷を重ね、ついに十五万部を突破した。三万部を越えた頃から加速度をつけ日に日に出足が
速くなっている。
 原子力事故の恐ろしさは、行きずり殺人のように無差別であり、被災の状態が直接把握でき
ないことである。最近イギリスで、三十一年前の原子力事故が明るみに出た。事故当時原子力
関係者は罹災した住民にそのことを知らせないで、もちろん避難退去をさせないで放射能を浴
び続ける住民が白血病や癌で斃れていく姿を黙って見ていた。イギリスにはこの種の事故は国
家機密として三十年間報道を制限することができる法律があるというのだ。危険なことをやっ
ていても、事故が起こっていてもなかなか真実を知らされないというのが原子力問題の特徴で
あり、このようなことはどこの国でも大同小異で詮索はタブーとしてまかり通ってきた。
 そして更に確実に危険度が増しているのが、放射能性廃棄物の処理方法の問題である。各国
の処理能力はその限界を越え他国へのなすりつけを始めた。ベルギーが西ドイツへ、フランス
がスウェーデンへと商いの力学で拡散がはじまっているという。
 前述の増刊号の著者は二児の毋である。この生命を継承するものの、いのち限りの叫びが、
特に女性の共感を呼び、現代文明の象徴である原子力発電の存在を根底から揺るがしはじめた。
いまや進歩発展のためにという免罪符が剥がれ、一つのタブーが白日の下に哂された。問われ
るのはエネルギー問題ではなく、人間自身の問題である。 (MM)
                               1988年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
『まだ、まにあうのなら』(甘蔗珠恵子著)は、この後も広がり続け、現在発行部数52万部を越えています。先日も北海道新聞の編集委員の方が、コラムで大きく取り上げてくださり、これを読まれた方から注文が相次ぎました。上の巻頭言に書かれているとおり、この『まだ、まにあうのなら』は、原発の問題を社会問題ととらえているのではなく、根本的な人間のあり方について、心の奥から出てきた言葉で書かれているので、まったく文章が古くならない、30年も前に書かれたものですが、読む人の心に響きます。
(2016年2月4日 増田圭一郎 記)

2016年2月3日水曜日

観光地


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年1月号)

観光地


 大分県の山中にある由布院温泉は天然自然と人の心に恵まれた超一級の観光地である。この
地を訪れる人は火山性の山々の精気に包まれて、居ながらにしていのちの蘇生力を感ぜずには
いられない。それに加えて茅葺や瓦屋根の木造の建物がゆったりと配置温存されている静かな
町のたたずまい、自然味を活かした心のこもった料理の数々など、何度訪れても心安らぐよい
地である。
 この町の古い旅館である亀の井別荘の主人中谷健太郎さんは三代目である。中谷さんのおじ
いさんが七十年前、辺境であったこの地に別荘を造り、人を招いて語り合ったのがこの宿のは
じまりであった。訪れる客には精一杯のもてなしをし、その客から諸々のものを学ぶという姿
勢は地域の人々にも受け継がれ、今日の魅力的な環境づくりに活かされている。
 先日、中谷さんは、食養研究家の東城百合子さんと百姓医者の竹熊宜孝さんを招いて講演会
を開いた。ここの町づくりの歴史がそうであったように、人間と自然が響き合ったとき、その
町の魅力が創り出されていく。それを「土」の次元からつなぎたいというのである。この会に
は農家や町中のさまざまな人が集まり、その関心の高さがうかがわれた。
 講師の両先生は技術的方法論よりもむしろその元になる心の問題について多く語られた。こ
の町に心を感じたからであろう。
 「訪れる人、招く人が互いにその人の光を観じあう、その場を観光地と呼んだらいいのでは
ないか」というのが中谷さんの持論である。 (MM)
                               1988年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
「訪れる人、招く人が互いにその人の光を観じあう」いい言葉ですね。人は人の光を観じ、それで生きているのだと思います。地湧社が30年も前に出した『この子らは光栄を異にす』(山浦俊治著)という本があります。小羊学園という重度の障がい児施設の創設者の本ですが、このなかで著者の山浦さんは、みんな違っているのだけれど、みんな光を持っているんだよ、ということを言っています。小羊学園は今年5月で50周年。『この子らは光栄を異にす』を復刊します。
(2016年2月3日 増田圭一郎 記)

2016年2月2日火曜日

女人味


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年12月号)

女人味


 最近中国で知り合った女性新聞記者の蘇敏さんから一冊の中国の若い女性向け雑誌が届き、そこには彼女が書いた記事が大きく掲載されていた。その記事はある日本女性との出会いを契機として、蘇さん自身が女性の魅力について思索したものである。
 蘇さんは今年の五月に中国各地で行われた日中国際親善の熱気球飛行に随行記者として参加した。この時蘇さんは、日本チームの中にいた同年輩の女性Kさんが、中国の女性とは異なった雰囲気を持っていることにある種のカルチャーショックを受ける。激動の続いた中国では、論理性、攻撃性という男性的な傾向を身につけた女性が輩出した。それに対しKさんは、日本の女性としてはごく当たり前と思われることだが、出会うたびに軽く会釈したり気さくに話しかける。またある事件をめぐって感情的な態度をとった蘇さんに、Kさんは理詰めの批判でなく優しい行き届いた助言を与えた。このような出会いを中国女性の蘇さんは憧憬をもって受け入れ、丹念に考察する。蘇さんはいう、「その時代のその社会の姿は女性の立ち居振る舞いの上に現れる、Kさんの態度は儀礼的でもなく、作った媚や可愛らしさでもない、なんともいえない魅力(幽幽的韻味)でありそれこそ女らしさ(女人味)である。彼女の背後にはそれを培う何があるのだろう」と。男性も例外ではないが女性はあなた好みに作られる。そのあなたは男性であったり国家であったり、あるいは文化であったりするのだろう。
 蘇さんは自分の詩作を出版している詩人でもある。その詩人の目は国家や文化のあなた好みでなく、もっと自由な解放された人間の深い魅力まで探りたがっているようにみえる。 (MM)
                               1987年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
いま、文章を書こうと思ってすぐ脇を見たら、『女性文明待望論』(千島喜久男著・新生命医学会刊)が置いてありました。千島喜久男博士は、腸造血説や血球分化説で有名ですが、実は人間と文明について、たくさんの文章を書いています。この『女性文明待望論』は古今東西の母系や女性観について網羅的に述べるとともに、自滅的に進む、現代科学文明を救うには、理屈を越えて、いのちを一番に考える母性的第3の文明が必要と説いています。古いですが好著です。在庫が少しあります。(2016年2月2日 増田圭一郎 記)

2016年2月1日月曜日

エネルギー生産性


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年11月号)

エネルギー生産性


 上海から洛陽まで二十時間ほどの列車の旅をした。朝目がさめると徐州であった。あたりは行けども行けども広い広い、畑々々々である。ちょうどこの数百キロメートルの間はほとんどが麦畑で、窓の外は季節が順番に出てくるように、耕起前、耕起中、種まき、そして洛陽に着く頃は発芽したてのうす緑色と変化していた。
 感嘆したのは耕起中の畑の風景である。一つの鋤を子どもも交えた七、八人が体を斜めにして懸命に引いている。どの畑もどの畑も同じようにやっているのである。たまに五十組に一つくらいは牛を一〜二頭使っているものもある。聞くところによると、この地帯はかつてトラクターを使った大規嗅農業をめざした時代もあったが、必ずしも生産が上がらず、その後の改革で畑を家単位に分割した結果、人力主体の農業になっているのだという。
 今我が国の農業の方向は省力化、集約化によって国際競争力をつけようとしている。しかし、エネルギー生産性(自然エネルギーの再生産力)で計算すると、人力農業と畜力農業と機械力農業の比は40対7対1で、人力が最も優れているといわれている。つまり、化学肥料、農薬、機械など石油に代表される持ち込みエネルギーをもとでに近代機械農業は成り立っているから、売り上げが多いのに利益の少ない会社に似ている。ましてや石油、原子力などの持ち込みエネルギーは自然からの借金であると考えれば、その累積赤字は測り知れない。
 日頃からエネルギー生産性の高いところにしか真の富はないと思っている私に、この中国の農村風景は大いなる安らぎを与えてくれた。  (MM)
                               1987年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
エネルギー生産性のことを考えると、人力が一番効率的なのは明らかですが、少しでもいまラクをしたいと考える人が多い限り、なかなかそちらに舵を切るのがむずかしいですね。ここは、やはりやはり大きく価値観を転換しなければ、借金を重ねるだけです。昨年出した、『ワタが世界を変える』(田畑健著)は、ガンジーのチャルカの思想を中心に、今日までの綿の世界史を見ながら、このことを分かりやすく説明しています。いま目の前のラクを考えているよりも、生活全体の幸せ度をあげることにどうしていったらいいか。トルストイの『イワンの馬鹿』をいつも心に留めています。 (2016年2月1日 増田圭一郎 記)