2016年2月4日木曜日

生命を継承するものの叫び


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年2月号)

生命を継承するものの叫び


 生命に危害を加え始めた原子力発電の実状を訴えた本誌増刊号『まだ、まにあうのなら』が
増刷を重ね、ついに十五万部を突破した。三万部を越えた頃から加速度をつけ日に日に出足が
速くなっている。
 原子力事故の恐ろしさは、行きずり殺人のように無差別であり、被災の状態が直接把握でき
ないことである。最近イギリスで、三十一年前の原子力事故が明るみに出た。事故当時原子力
関係者は罹災した住民にそのことを知らせないで、もちろん避難退去をさせないで放射能を浴
び続ける住民が白血病や癌で斃れていく姿を黙って見ていた。イギリスにはこの種の事故は国
家機密として三十年間報道を制限することができる法律があるというのだ。危険なことをやっ
ていても、事故が起こっていてもなかなか真実を知らされないというのが原子力問題の特徴で
あり、このようなことはどこの国でも大同小異で詮索はタブーとしてまかり通ってきた。
 そして更に確実に危険度が増しているのが、放射能性廃棄物の処理方法の問題である。各国
の処理能力はその限界を越え他国へのなすりつけを始めた。ベルギーが西ドイツへ、フランス
がスウェーデンへと商いの力学で拡散がはじまっているという。
 前述の増刊号の著者は二児の毋である。この生命を継承するものの、いのち限りの叫びが、
特に女性の共感を呼び、現代文明の象徴である原子力発電の存在を根底から揺るがしはじめた。
いまや進歩発展のためにという免罪符が剥がれ、一つのタブーが白日の下に哂された。問われ
るのはエネルギー問題ではなく、人間自身の問題である。 (MM)
                               1988年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
『まだ、まにあうのなら』(甘蔗珠恵子著)は、この後も広がり続け、現在発行部数52万部を越えています。先日も北海道新聞の編集委員の方が、コラムで大きく取り上げてくださり、これを読まれた方から注文が相次ぎました。上の巻頭言に書かれているとおり、この『まだ、まにあうのなら』は、原発の問題を社会問題ととらえているのではなく、根本的な人間のあり方について、心の奥から出てきた言葉で書かれているので、まったく文章が古くならない、30年も前に書かれたものですが、読む人の心に響きます。
(2016年2月4日 増田圭一郎 記)