地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。
(月刊「湧」1986年9月号)
円高に思う
2年ほど前、第一線で活躍している若いエコノミストやビジネスマンの集まりに出たことが
あった。その中に金融企業に勤務している人がいて、その人の報告によると、最近は海外への
融資と回収の仕事が増えて極めて多忙の毎日であり、日本はいまや金貸し業の国になっている
という。そして若いエリートの人気業種は自動車産業でもエレクトロニクス産業でもなく、金
融産業に集中しており、もの作りで稼ぐ時代は過ぎ去りつつあるという。いったいどんな時代
になるのだろうかということで、興味のある話題が続いた。
それから僅か二年の間に、世界の経済情勢は急速に変化して、日本は今、円高の大波にもま
れている。経済の動きで社会状況が変わるので我々には生活や産業・文化的営為があたかも経
済変化にリードされているかのように見えるが、大局的に見れば人々の活動のエネルギーがそ
こに集中したから経済活動にあらわれたというのが順序なのであろう。
この数世紀の間に人気貨幣はフランーポンドードルー円と地球上を移動してきたがそのどれ
一つとして経済学者のデザインどおりに動いたものはない。表面に現れた金や物や人間の願望
などを見ていたのでは問に合わない事柄で、人々の努力や腕力では変えることができないとめ
どもない大きないのちのエネルギーの流れなのだろう。人間がこのエネルギーを単なる物質的
富だけにかえてしまう愚行を犯すと、その都市は生命力を失い、いのちの流れは本当のいのち
を求めて次の都市へ向かって、またさまよいの旅を続ける。 (MM)
1986年9月10日発行
(次世代のつぶやき)
バブル最盛期のこの文章は、その先の現在にいたる経済情勢を言いあてています。バブル景気が実体経済ではなく、経済が経済を生み出す虚構だったのですが、いまもそこから本質的に脱却できていません。景気を株価や上位企業の利益だけで見ていくことを、まやかしとわかったときいのちの経済が目覚めるのでしょう。
(2016年1月12日 増田圭一郎 記)