2016年1月4日月曜日

感性の閾値


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、1986年の第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきたいと思います。

(月刊「湧」1986年2月号)

感性の閾値

 日常的にはあまり使われていない言葉であるが、閾値という用語がある。「生体に興奮を起こ
させるのに必要な最少の刺戟強度」を表わす専門用語である。
 現代人の多くは、エネルギーをより多く確保し使うほど、大きな幸福が得られると信じて、
過大な刺戟を必要としているから、いまや人間の感性の閾値は急上昇の時代といえよう。
 こうした時流の中で新体道の創始者である青木宏之氏は、長年の念願が叶ってこの二月に東
京小石川に新道場を開設した。青木氏は、からだと心の結びつきについて、伝統的な武道や芸
術・宗教に学びながら、自身の感性を磨き、その闘値を極度に下げることを体現し、人間のか
らだの可能性の素晴しさを示した。青木氏の表現の一つに、離れている相手を自在に動かす“遠
当て”という実技がある。かつて氏の実技をみて超能力とか神秘主義、あるいはまやかしといっ
て、興味を持ったり揶揄したりした人もいたが、最近は電子測定器機が進んできたので、青木
氏の能力の実在が科学者の目にも明らかにされ、国際的にも関心を持たれはじめている。人と
人や人と自然の間に見えない糸で呼応する感性の存在は、いまでは非日常的となったが、逆に
知識の少なかった太古の時代はだれもが感性を豊かに備えていたのであろう。
 だが、前途が悲観的であるとは限らない。最近の調査によると、日本人は、仕事よりも趣味
の生活に憧れる人が増えているという。また、超能力や神秘への関心が高まったり、自らのうち
に独自の力を見つけようとする傾向がある。そしてこういった念願をあからさまにできる時代
にもなっている。没個性を強いて感性を鈍らせる現代的価値観を拒否し、人々はいつの間にか
無意識に感性の闘値を下げることの方に加担し始めたのかも知れない。
 二十一世紀は芸術と宗教の時代になると言われている。(MM)



(30年後のつぶやき)
二十一世紀は芸術と宗教の時代になると結ばれてますが、まさにそうだと思います。芸術や宗教がその枠を超えて、人の心・技・体に結実したとき、新たな生き方が見えてくるでしょう。これは、卓越した職人や特殊な修行をした宗教者でなくても、ごく普通の人が真実をつかむことができる時代になりつつあるということです。
アクエリアスの時代と言われる二十一世紀に入って、16年が経ちましたが、まだまだその潮流が表に出てきているとは思えませんが、若い人たちはもう変わってきています。
(2016年1月2日 増田圭一郎 記)