2016年1月27日水曜日

「明鮑(ミンパオ)」の島


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年8月号)

「明鮑(ミンパオ)」の島


 長崎県五島列島の北端に、小値賀島という人口五千人ほどの小さな島がある。
 ここは、近隣の島々の中では珍しい平坦な島で、米をはじめとする農産物が豊富に穫れ、それにも増して周囲の海は魚介類海産物の宝庫である。島民の努力によって松の木なども失われることなく、風光明媚で天然自然に祝福された幸せな島である。
 この島を訪ねて、ことに私が興味を抱いたのは、この島独特の「鮑」漁である。その漁法は、若い男が素もぐりで重りを抱えて海面下十七ひろ(約二十五〜三十米)の深さまでもぐり、適当な大きさになった鮑を袋につめて浮上する。採取量は厳密に制限されている。獲れた鮑は、釜ゆでしたあと、夏至を挟んだ強烈な太陽の下に四十日間哂される。こうしてできた鮑は「明鮑」と呼ばれて、大半は中国に売られてゆくという。この中国向けの逸品「明鮑」がいつ頃から中国に出荷されていたかは定かではないが、一説によると秦の始皇帝(約二千二百年前)が不老長寿の薬として珍重したものの一つと言われているから、あるいは二千年続いてきたのかもしれない。今の中国は外貨が少ないから、超高価のこの「明鮑」をかなりの犠牲を払って仕入れていることだろう。国家体制や貿易の流れが大きく様変わりした今日でも変わらず続いているこの取り引きには、今の経済原理をはるかに凌ぐ大きな力が働いているのかと思うと、まやかしの価値に駆遂されない自然生態系のしたたかさを見る思いがして痛快である。
 だがこの島にも今、自然破壊の波があらゆるものに姿を変えて押し寄せている。「明鮑」よ、永遠に健在であれ。 (MM)
                               1987年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
超が付くほど高価な干し鮑も、いまや“爆買い”対象なのでしょうか。『びんぼう神様さま』(高草洋子著)という物語の中で、百姓の松吉は、びんぼう神にとりつかれて、どんなに貧しいときでも必死に種籾を守り、村を救いました。自然は全部食べ尽くしてしまえば、もう私たちにお恵みをくれません。(2016年1月27日 増田圭一郎 記)