地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。
(月刊「湧」1986年4月号)
栞(しおり)
ニューヨークで精神活動を続けている田中成明という友人から変わった栞セットの贈り物が
届いた。手のこんだ奇麗なこの金属製の栞には欧米の人々の「本」に対する深い思い入れと愛
情が感じられる。
日本語の栞の原意は、枝を折って道しるべとすることにあるという。
栞といえば、私はすぐに民話の「姥すて山」をおもい浮かべる。また、この民話に基づいて
書かれた深沢七郎作『檜山節考』も発表当時大変な評判となり、映画化もされ演劇でも上演さ
れたが、ことに松禄が演じた歌舞伎座の舞台は、私の心の中に民話と二重うつしとなって四半
世紀を過ぎた今でも生々しく残っている。
……姥すて山の上で老母に別れた息子が、山を下りはじめると急に雪が降りだし、辺り一面
が真っ白になってゆく。ふと気がつくと折れた木の枝がある。帰り道で息子が迷わないように
と老母が折った枝が綿々と続いている。感極まった息子はいま来た道をとって返し「かあさん!
雪だよ!」と叫ぶ。その声が雪の坂道で滑って転ぶ板の響きと絡み合って、いつも私の耳の底
で再現される。
私達の身の周りには知識や道具というちりが積もって道を見失い、知らず知らずのうちにい
つの間にか文明の迷路に入ってしまっているのではなかろうか。
大いなる知恵をもつ老母が折った栞はどこにあるのだろうか。その現代の栞を求めて私達は
本づくりの旅を続けているのだが。 (MM)
(次世代のつぶやき)
最近栞を使わなくなりました。ブックマークしたいときは、本に挟まっているチラシや読者カード、それさえない場合は、カバーのそでをはさんだりして。
思えば、お気に入りの栞を使っている時期は、ゆったりと時間が経っていました。
電子書籍にもブックマークの機能がありますが、何と味気ないことか。
自分専用の栞を持つことは、時間の贅沢、心の贅沢です。
(2016年1月4日 増田圭一郎 記)