地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。
(月刊「湧」1987年10月号)
佐藤さんの庭
「なんと季節感のないところへ引越してきてしまったんでしょう」としきりにぼやいていた妻が、数軒先にかわった低い石垣のある家を見つけ、そこのご主人に中の庭を見せてもらったという。とにかく面白い庭だからいってみてごらんなさいというので出かけてみた。
熔岩を自分で積んだでこぼこの石垣の間には、見れば見るほど色々なものが植わっている。ぎぼうし、かるかや、かわらなでしこ、われもこう、たつなみそう、へびいちご、ホトトギス、今花のついていない、しゅんらん、くまがいそう、ゆきのした、などいちいち書きならべたらゆうに「湧」一冊分にもなるほど、ただの草が生えている。十メートル四方くらいの庭の中にも、じゅず、まつむしそう、おみなえし、などの下に丈の低い草々がところ狭しと生えているが、ご主人にとってはいちいちあるべくしてそこにあるもののようである。
よく見るとその中にあちこち素焼きの鉢がたくさんあって、その一つの鉢に二つの名札がついているので尋ねてみると、「三年前にまいた種がまだ出ないので、別の種をそこにまき、来年あたりは両方いっぺんにでてくるかも知れないと思って待っている」という。これらの草々はとってきたのではなく、種をもってきてまいたものばかりである。見なれない花の名を尋ねると、「この花はちょっと派手で面白くないけど葉の色がいいねえ」とおっしゃる。ご主人佐藤さんが「いいねえ」と思ったものが集まっている。学術的価値や商品価値とはまったく無縁、同好趣味的なものさえ感じられない、裏山をそのまま連れてきたような大きな秋の庭である。
(MM)
1987年10月10日発行
(次世代のつぶやき)
所狭しと、草花が庭一杯に広がっている庭をみると、カレル・チャペックの『園芸家の12か月』を思い出します。園芸家は、庭のこんな○○を見ると、○○せずにいられない、といった調子で、庭好きの人の滑稽なまでのオタクぶりが描かれています。ところで、『ようこそ、ほのぼの農園へ』の著者松尾靖子さんは、自然農の畑のデザインをするのが楽しくてしょうがないと言っていました。次々に入れ替わる60種以上の作物の畑は、色とりどりで、丹誠込めたガーデンのようでした。 (2016年1月29日 増田圭一郎 記)