2016年1月29日金曜日

佐藤さんの庭


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年10月号)

佐藤さんの庭


 「なんと季節感のないところへ引越してきてしまったんでしょう」としきりにぼやいていた妻が、数軒先にかわった低い石垣のある家を見つけ、そこのご主人に中の庭を見せてもらったという。とにかく面白い庭だからいってみてごらんなさいというので出かけてみた。
 熔岩を自分で積んだでこぼこの石垣の間には、見れば見るほど色々なものが植わっている。ぎぼうし、かるかや、かわらなでしこ、われもこう、たつなみそう、へびいちご、ホトトギス、今花のついていない、しゅんらん、くまがいそう、ゆきのした、などいちいち書きならべたらゆうに「湧」一冊分にもなるほど、ただの草が生えている。十メートル四方くらいの庭の中にも、じゅず、まつむしそう、おみなえし、などの下に丈の低い草々がところ狭しと生えているが、ご主人にとってはいちいちあるべくしてそこにあるもののようである。
 よく見るとその中にあちこち素焼きの鉢がたくさんあって、その一つの鉢に二つの名札がついているので尋ねてみると、「三年前にまいた種がまだ出ないので、別の種をそこにまき、来年あたりは両方いっぺんにでてくるかも知れないと思って待っている」という。これらの草々はとってきたのではなく、種をもってきてまいたものばかりである。見なれない花の名を尋ねると、「この花はちょっと派手で面白くないけど葉の色がいいねえ」とおっしゃる。ご主人佐藤さんが「いいねえ」と思ったものが集まっている。学術的価値や商品価値とはまったく無縁、同好趣味的なものさえ感じられない、裏山をそのまま連れてきたような大きな秋の庭である。
 (MM)
                               1987年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
所狭しと、草花が庭一杯に広がっている庭をみると、カレル・チャペックの『園芸家の12か月』を思い出します。園芸家は、庭のこんな○○を見ると、○○せずにいられない、といった調子で、庭好きの人の滑稽なまでのオタクぶりが描かれています。ところで、『ようこそ、ほのぼの農園へ』の著者松尾靖子さんは、自然農の畑のデザインをするのが楽しくてしょうがないと言っていました。次々に入れ替わる60種以上の作物の畑は、色とりどりで、丹誠込めたガーデンのようでした。  (2016年1月29日 増田圭一郎 記)

2016年1月28日木曜日

金環食


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年9月号)

金環食


 名月の十五夜が近づいている。「左が欠けていれば上弦の月、右が欠けていれば下弦の月、欠け方は上下でなく左右で区別するんですよ」。親しい人と一緒に月に出会うと、きまって私の口ぐせが出てしまう。月を見て咄嗟に上弦、下弦がわかる人は少なくなった。月の見えない所で今日の月齢はと問われて答えられる人は更に少ない。それほど天体は我々の暮しから遠のいてしまった。
 さて、九月二十三日は新月である。その日沖縄では金環食が見られる。本邦では今世紀最後だというから、さぞかし沖縄便はマニアでいっぱいだろうと、旅行会社に問い合わせたら、満員ではない、むしろシーズンオフだから安い切符があるという。こんなことに熱心になる自分はおかしいのかと考え込んでしまった。
 三十年前、私は感動の日食を見た。見たというより体験したと言った方がよいかもしれない。その日、ローソクの油煙で黒くした板ガラスを通して、月に蝕まれていく太陽に見とれていた私は、ふと地上に目をやると、木漏れ日が三日月形をしているのに気づいた。あのハリ穴写真機の原理である。思わず歓声をあげながらいちょうの並木道に出てみると、一面に何百何千の三日月形の影絵が輝いている。それが風に吹かれてきらきらと揺れ動いている。長い間全身を無数の三日月太陽に包ませて、わけもなく感慨に耽ったその日を私は今でも鮮明に覚えている。
 その日食がやってくる。今度のは金環食だ。木漏れ日は環を作るのだろうか。木陰の大地一面にダイヤモンドリングがふりまかれるのだろうか。この世紀の天体と自然の共演を見逃すわけにはいかない。 (MM)
                               1987年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
日光が三日月型に映っているのを偶然発見したときの感動は、すごいものに違いないですね。自然現象がつくり出す芸術には、有無を言わせぬ、すごさを感じます。人間が勝手にすごいと思っているだけなので、ある意味これこそ人間しかできない自然の客観視、というか客対視。ここで我が事と感じるかどうかの分かれ目は、その時ワクワクするかどうかのような気がします。(2016年1月28日 増田圭一郎 記)

2016年1月27日水曜日

「明鮑(ミンパオ)」の島


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年8月号)

「明鮑(ミンパオ)」の島


 長崎県五島列島の北端に、小値賀島という人口五千人ほどの小さな島がある。
 ここは、近隣の島々の中では珍しい平坦な島で、米をはじめとする農産物が豊富に穫れ、それにも増して周囲の海は魚介類海産物の宝庫である。島民の努力によって松の木なども失われることなく、風光明媚で天然自然に祝福された幸せな島である。
 この島を訪ねて、ことに私が興味を抱いたのは、この島独特の「鮑」漁である。その漁法は、若い男が素もぐりで重りを抱えて海面下十七ひろ(約二十五〜三十米)の深さまでもぐり、適当な大きさになった鮑を袋につめて浮上する。採取量は厳密に制限されている。獲れた鮑は、釜ゆでしたあと、夏至を挟んだ強烈な太陽の下に四十日間哂される。こうしてできた鮑は「明鮑」と呼ばれて、大半は中国に売られてゆくという。この中国向けの逸品「明鮑」がいつ頃から中国に出荷されていたかは定かではないが、一説によると秦の始皇帝(約二千二百年前)が不老長寿の薬として珍重したものの一つと言われているから、あるいは二千年続いてきたのかもしれない。今の中国は外貨が少ないから、超高価のこの「明鮑」をかなりの犠牲を払って仕入れていることだろう。国家体制や貿易の流れが大きく様変わりした今日でも変わらず続いているこの取り引きには、今の経済原理をはるかに凌ぐ大きな力が働いているのかと思うと、まやかしの価値に駆遂されない自然生態系のしたたかさを見る思いがして痛快である。
 だがこの島にも今、自然破壊の波があらゆるものに姿を変えて押し寄せている。「明鮑」よ、永遠に健在であれ。 (MM)
                               1987年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
超が付くほど高価な干し鮑も、いまや“爆買い”対象なのでしょうか。『びんぼう神様さま』(高草洋子著)という物語の中で、百姓の松吉は、びんぼう神にとりつかれて、どんなに貧しいときでも必死に種籾を守り、村を救いました。自然は全部食べ尽くしてしまえば、もう私たちにお恵みをくれません。(2016年1月27日 増田圭一郎 記)

2016年1月26日火曜日

未病を治す


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年7月号)

未病を治す


 梅雨の時期にはからだの不調を訴える人が多くなる。そのせいか、この季節は健康診断も多い。ある大企業の知人に聞いた話であるが、忙しい部長職にあるこの知人は、毎年の健康診断で血圧異常や胃炎、尿たんぱく過多などの症名、病名をつけられ、投薬や加療をすすめられるという。そこである年一計を立て、健康診断の直前に長い休暇をとり、勝手気ままな生活をしてから診断を受けてみた。すると結果は健康度満点。これに気を良くした彼は自分のからだに自信をもち、世の中にはめったに病気なんて存在しない、殆どが一時的な生活症状なのだという考えを持つようになり、病名をつけられる前に平素の生活を整えるようになったという。名医は未病を治すというが、彼は自ら自分の名医になったわけである。
 さて、こんな話を思い出しだのは、実はこのところ中国と日本の間で「光華寮問題」や外務省の失言遺憾表明など暗いやり取りが続いているからである。この問題はどうも末梢的な言葉じりの応酬に流れている嫌いがあるが、よく見るとその根が深い。外交の次元の対症療法だけを考えていては、治癒することはおろか重い病気に進み、取り返しのつかないことになってしまいそうである。この際中国の主任をお医者さんに見立てて、日本の国の健康診断をしたらどうだろう。日本が主張する「三権分立制」の健康度、軍事費の肥満度など病名はいくつつくだろうか。
 組織や機関は病いをひき起こしたり治療したりはするであろうが、生活そのものを工夫して国の未病を治し続けることの出来る名医は国民一人一人しかいない。 (MM)
                               1987年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
国家主権の認否問題、領土問題は根が深いです。所詮、国境線は人間が引いたものだから自然科学の原理のように、誰もが納得するようにはならないでしょう。宇宙から地球をみると国境線がないように、人の心の国境線が無くなるといいのに。  (2016年1月26日 増田圭一郎 記)

2016年1月25日月曜日

からだの復権


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年6月号

からだの復権


 アメリカのある体育コーチは、選手にリラックス状態になる能力を会得させることによって、三十年間に三十七人の世界記録保持者を生んだ。また、ソビエトでもかなり前から選手養成にリラックス法が用いられていたらしい。これは先頃、東海大学体育学部の教授である今村義正氏からうかがった話である。このリラクゼーションとよばれるようになった選手養成法は、心理学の応用のほかに禅やヨーガの方法などが用いられているという。禅の本場である日本はスポーツを通して心身の解放術を逆輸入しているわけである。
 我々はいろいろな知識をたくさん獲得してきたが、日常生活において自分自身のからだの内なる声をきく習慣をあまり持ち合わせていないのかもしれない。近代文明は心身二元論によって、金や支配力に置き換えやすい知的、精神的要素を優先し、からだというつかみどころのない自然に直接語らせることを妨げてきたからであろう。そのような意味で考えると、このリラクゼーションの研究や実践は、心身の解放によってからだが復権し、一人一人が自分自身の実力をいっぱいに発揮する一つの時代の幕明けを示すものであろう。
 この春、日本仏教のふるさとである比叡山の閧山千二百年を記念して『からだは宇宙のメッセージ』と題した創作曲が奉納された。
 私は、からだは宇宙のメッセージだと思う。だから一人一人が宇宙の意志の代表選手だと思っている。 (MM)
                               1987年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
ストレスが溜まって身体が疲れてくると、以前はよく戸隠や丹沢の森を歩きました。最初少し早めに、小走りのように歩いていると、自分の呼吸と心臓の鼓動がだんだんとつかめてきて、同時に森の呼吸と一緒になった感じがしてきます。そのまま1日歩き回っているといつのまにか体調が戻っています。
その身体のチューニングは、まさに“からだは宇宙のメッセージ”を感じ取れます。
(2016年1月25日 増田圭一郎 記)

2016年1月22日金曜日

パフォーマンス百姓一揆


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年5月号)

パフォーマンス百姓一揆


 先頃、熊本県の菊池養生園では、恒例の養生園祭が盛大に行われた。この「いのちと土と健康」の祭典は毎年一万人以上が参加して、この地方の名物となっている。
 しかし、今年の養生園祭は少し趣を異にしていた。呼びものの一つとなっている仮装大会の参加者がふくれあがり、二千人以上にも達してしまったのである。題して米騒動・百姓一揆仮装大会。思い思いに江戸時代の百姓姿に扮した人々が。手に手にむしろ旗などを持って国道を長蛇の列となって埋め尽くしたのである。
 今、日本の農業は海外からの安い農産物の流入で逼迫した時代を迎えている。殊に、日本人にとって最も大切な食糧である米は、貿易を自由化すると、十分の一の価格でアメリカなどの外国から輸入できるという。これは経済的視点だけから見れば工業立国の日本にとっては好都合のようにも見える。だから政府も、あるいはマスコミも、農業に対しては冷淡な態度を取っている。当の農民さえも、農業を目先だけの経済問題からとらえて、その将来を悲観している人も少なくない。このような時勢の中で、今回の養生園百姓一揆は、表面上の経済論理の罠を見破る重要な視点を与えてくれた。
 仕掛人の一人である養生園の竹熊宜孝所長はこう発言している。「米作りというのは単に食糧商品を作っているのではない。田作りは土を生かし、水を生かし、海をも生かしている。環境保全も含め総合的に見ると、よき農業は計り知れない経済効果をもたらしている。今こそ農業問題から、いのちある暮し全体を考える時だ」と。この熊本から上った野火が全国に拡がって禍福転じることになることを念じて止まない。 (MM)
                               1987年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
医は食に、食は農に、農は自然に学べ、と日頃おっしゃる竹熊先生は、菊池養生園の診療所のいたるところに直筆の短冊を掲げておられます。「品物の山 癌 白米は粕 ともに意味あり」「農薬は農毒薬 虫はコロリと人間はじわっと」など読んで楽しく、ためになることばかり。それを書き文字そのままにまとめた『いのち一番 金は二の次』(竹熊宜孝著)は、そのタイトルこそ、いま最も肝に銘じたい言葉です。
(2016年1月22日 増田圭一郎 記)

2016年1月21日木曜日

権威


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年4月号)

権威


 大阪の加藤清さんという人は常識はずれな人である。権威におもねることにも、逆らうことにもまったく頓着なく、権威というものに無関係にものごとを判断していく人である。私が、加藤さんの人と仕事のやり方に関心をもちはじめてから八年になるが、この間にも私は彼の普通の人とは違う並でない言行の数々を見てきた。
 加藤さんは天王寺区に健康再生会館という道場を主宰し、医師に見放されたり、現代医療を見限ったりしてやってくる末期ガンの人達と一緒に、懸命に生への再起を試みている。彼は一貫してガンは死の病ではないと唱えて、その独自の生命観によって治療を行っている。
 といっても、その治療法は特別奇異なものではない。体の歪みをなくし、全身の血行をよくすること、そして断食と速やかに血液の再生ができるように効率よくとり入れられる食物として、粉ミルク、鶏卵、塩類飲料などを与えることくらいである。この道場には常時五十人から百人近い人達が、再起をかけて療養生活のしかたを勉強しているが、この中のおおかたの人達は二週間の研修期間で元気をとり戻して社会復帰しているのである。
 加藤さんがこのように効果的な治療を発見した最も大きな要素の一つは、あらゆる権威というものから徹底的に自由であることにあると思う。彼は患者との関わりのなかで現代医学の権威、自然主義医療の権威などいろんな権威や反権威におかまいなく、ただ患者の心身との呼応の中からじかに生命を引き出すのである。
 権威という幻影に固められている現代の我々の生き方を問い直す一冊ができる。新刊、加藤清著『ガン革命』である。 (MM)
                               1987年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
“あらゆる権威から徹底的に自由であること”は、いつの世でもたやすいことではないでしょう。
そういう生き方をしている人は、どんなことについてしゃべってもブレがない。そして、一緒にいるだけで、なぜか自然と癒やされます。地湧社の著者の方にはそういう方がたくさんいらっしゃいます。
(2016年1月21日 増田圭一郎 記)

2016年1月20日水曜日

愛蔵書


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年3月号)

愛蔵書


 愛蔵書といわれるように、一度手にして愛着をもった本は、家が狭くて置き場所に困っても手放し難いものである。箱詰めの本ではとっておいても何の価値もないでしょうと、家族の冷たい扱いを受けながら、幾冊かの本を残してきた。今度、家の引っ越しを機に思いきり大きな書棚を作ったので、何年もの間段ボールに入っていた本がいっせいに並べられ、日の目を見ることになった。
 まもなくして、ある日高校生の娘が黄色く変色した本を引き出して熱心に読んでいるので、のぞいてみると『世界史読本』という古い一冊だった。彼女はこの本はわかりやすくて面白いといって大変気に入ったようすである。新人類といわれる年代の娘にこんな古い本が読めるのかといぶかって、後でページを繰ってみると、序文に、この本の編集意図がいきいきと書かれ、これからこの本を読みはじめる読者を鼓舞するに十分な覇気がみなぎっている。奥付けをみると昭和三十四年発行、実に二十八年前のものである。おもえばこの頃は日本中が民主化の波の中にあり、経済が急成長をはじめた時期である。「歴史家は未来への願いを投影しながら歴史を書く」というが、理想が描ける、未来あるよき時代であったと思う。
 書き手の「気」を十分に宿した本は、絵画などの美術品同様、時代を経ても人の心に響くのだろう。肩身の狭い思いで苦労してこのような本を保存してきたことが、最良の形で報われた思いであった。 (MM)
                               1987年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
本に囲まれた生活に、何とも言えない幸せを感じます。最近、モノを持たない生活というのがはやりですが、本はモノでしょうか? わたしはモノではなくて古今東西の著者に囲まれているような気がします。
(2016年1月20日 増田圭一郎 記)

2016年1月19日火曜日

代理価値


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年2月号)

代理価値


 厳冬の中で円高不況による企業倒産が相次いでいる。昨日、親しい友人が訪ねてきて、破産によって絶望のどん底にいる知人を今し方力づけてきたところだという。そして「最も安定している会社というのは、いつも苦しい線を歩いている会社だそうです。さしずめあなたの会社は安全ですね。」と真面目な顔つきでいう。そういえば野鳥や昆虫はいつも餓死と直面しながら元気をえている。企業は生きものというからなるほどそういうものかと、変な理屈をつけてみた。
 私達は物事を貨幣価値で処理していることが多いので、いつの間にか貨幣の流れだけをみてしまう。だが、本来いのちの営みがあって、その「代理価値」として貨幣が用いられてきたことを思い出せば、自ずから焦点の位置が変わってくる筈だ。農業でも目先だけの金づくりが優先されれば、土壌は弱り有毒な作物さえ作りかねないし、金づくりで始めた原発もむしろコスト高になることがわかってきた。生命の次元に戻ればまったく採算が合うまい。
 さらに、「国家」も代理価値であることを忘れずにおこう。防衛費のGNP1%突破や国家秘密法、大型間接税新設のごり押し、みんな代理価値の暴走だと思う。
 この際「貨幣」「国家」のほかに「情報・知識」も代理価値の仲間にいれて考えてみたらどうだろう。ブラウン管にへばりついてばかりいたら山や花の美しさを見逃してしまうし、カセットテープを抱いていたら、小川のせせらぎや愛のささやきを聞き損なってしまう。
 この不況を機会に、我々が便利だとして使ってきた代理価値をよくよく点検してみたい。  (MM)
                               1987年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
危機に直面しなければ、そのものが「代理価値」であることに気づかないのが、私たちですね。
でも「代理価値」にまったく無縁では、なかなか生きていけません。「代理価値」に自分のいのちと心を全部とられないようにしたい。「代理価値」にひやっとしたものを感じる状態がいいと思うのですが、自然と離れているとそれが鈍ります。

この巻頭言筆者は、今日齢80になります。おめでとうございます。
(2016年1月19日 増田圭一郎 記)

2016年1月18日月曜日

地球ぐるみのバイオエシックスを


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年1月号)

地球ぐるみのバイオエシックスを


 バイオエシックスは一般には「生命倫理」と邦訳されている。
 先日、産業医科大学の主催で『バイオエシックスを考える研究会』という会が開かれ、招かれて出席した。最初は医者でも専門家でもない私がどうしてこの会に呼ばれたのかという思いと、バイオエシックスという言葉に接するたびに何か心隠やかならざるものすら感じていたのでその出席をためらった。バイオエシックスというこの単語はたいてい臓器移植、試験管ベビー、男女産み分け、遺伝子組み替えなど医学の先端技術の問題と一緒に出てくるので、進歩という名のもとに結論を強いられているような気がしてならないからであった。しかし、このような思いは杞憂であった。
 この研究会では様々な立場や視点から発言があり、私なりに要約すると、「バイオエシックスの問題はもともと発生の段階から個体レベルの『生存』追求に偏っているきらいがあり、このままだと局所的議論に終わってしまい、生命全体の問題解決力とならないし、むしろ事態を悪化させることにもなりかねない。原爆や環境汚染などによって地球全体がどうなっているか、ということも含め専門家だけでなくみんながそれぞれの哲学で考える時代がきている。『生命』全体を育む文化として、バイオエシックスをとらえれば、芸術や宗教などあらゆる分野の、いのちを愛する良き営み全部が含まれるということになろうか。
 バイオエシックスの問題は誰でも参加できる、あるいは既に誰もが参加しているのだ。この会の主催者の意図はそのようなところにあったように思えた。  (MM)
                               1987年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
いま、詩人の覚和歌子さん著のオラクルカード「ポエタロ」を制作中です。覚さんは、「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」の作詞をされていますが、その詞の中に、“ 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ”というくだりがあります。バイオエシックスという学問を使わないでも、みんな自分の心の目で奥深くを覗いていけば、いのちの海にのたどり着けるのではないでしょうか。
(2016年1月18日 増田圭一郎 記)

2016年1月16日土曜日

土の生命


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年12月号)

土の生命


 土が病んでいる。その何よりの証拠においしい作物が少なくなった。化学肥料や農薬を使用
して土壌中の生命環境が変化したからだろう。
 その昔、土壌に合成化合物を加える農業を考案した人たちの筆頭に化学者リービッヒがあげ
られるが、今その彼は土の生命に危機をもたらした張本人であると批判されている。しかし一
方リービッヒ擁護論もある。彼こそ経済利益のみ優先した当時の土壌成分の収奪農業を誰より
も憂えた人であるという。
 優れた人がすべてに配慮を加えて閧発した技術でも、ひとたび利益優先の社会に迎えられる
と必ずといっていいほど生命を損なう方向に走ってしまう。気がついたときはあとの祭りであ
る。その頂点が核エネルギーの問題であろう。
 あのチェルノブイリの原発の事故は周辺のかなり広大な土地や地下水を多量の放射性物質で
汚染してしまい、その後も被害を拡大しつつある。かつての原爆の実験で土地の放射能汚染と
白血病や癌の患者の発生との相関関係ははっきりしており、今度の汚染の量をこのスケールに
あてると、数年を待たないで恐ろしい未曽有の大被害がはっきり表れはじめるといわれる。生
物に被害のでる範囲は半径千キロメートルに及んだというから、狭い日本であの規模の原発事
故が一つ起これば、国土全域の生命環境は永久に失われ、高度成長を誇った日本の経済は破滅
して円紙幣は紙屑同然となろう。
 土が病めば人が病む、土が死ねば人が死ぬ。  (MM)
                               1986年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
2014年に刊行した『ようこそ、ほのぼの農園へ』(松尾靖子 著)の出版前に福岡の糸島にある、ほのぼの農園を何度か訪ねましたが、松尾さんの自然農の畑は、生命力にあふれていました。それを感じたのは匂いです。山や川など大自然の中でもあまり嗅ぐことのない匂い。森の中に偶然できたひだまりの匂い。
(2016年1月15日 増田圭一郎 記)

2016年1月14日木曜日

イマジネーション


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年11月号)

イマジネーション


 先日、東京の青山にある風変わりな店を二軒訪ねた。
 一つは「シンク・ビック」という店で、店内には人間の身長ほどもあるエンピツや三人が楽
に座れる野球のグローブ、腹に巻いても余る大腕時計などが展示されている。
 もう一つは、この店の近くにある「グルベア」というミニチュアを売る店で、ここには間口
五十センチの豪邸と、その中に入る人形や、家具から食料品にいたるまでのあらゆる生活用品
のミニチュアが揃えてある。
 この日は午後から二時間ほど、心理学者の関計夫氏から知覚研究の権威でゲシュタルト心理
学の第一人者であるアルンハイムついて、その人と仕事の話を伺っていた。この話が発展し
てイマジネーションと芸術、あるいは宗教との関係に及び、その延長線上で関氏をご案内して
前述の店を見ようということになったのである。
 私は以前に一度この店を見ていたがその時は、これらの商品の意味がつかめなかった。しか
し今回、関氏のお話を聞いた新しい目で、大型トランプカードやミニチュアのリビングルーム
と静かに対面してみると、日常性の中に埋没して、実物ではかえってつかみにくくなっていた
そのものの本質を、むしろこの模造品がよりリアリティーをもって訴えかけているように感じ
られ、これらの商品の存在理由がうなずけてきた。
 情報媒体のビジュアル化、具象化がすすんでますますイマジネーションを許さない情報氾濫
の昨今、日常性をちょっと外してこんな店を訪ねるのも一興かと思う。  (MM)
                               1986年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
ゲシュタルト心理学の話しが出てきますが、人間は知覚から認識までの間にかなりイマジネーションを必要としているそうです。あいまいさを上手に判断して受容する能力が大切です。
話しは飛ぶようですが、スマホはイマジネーションの力を鈍化させるような気がします。イマジネーション力がないと受容性も弱まります。逆に絵画にしろ音楽にしろ優れた芸術はイマジネーションをかき立て、育ててくれるのではないでしょうか。
(2016年1月14日 増田圭一郎 記)

2016年1月13日水曜日

中国の印象


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から巻頭言を毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年10月号)

中国の印象

 
 このたび思わぬ機会をえて中国の北京市と天津市を訪ねた。私にとっては初めての中国旅行
であったが、中国はいま新しいものがどんどん入り激しい変化の時代を迎えている。市街地は
いたるところで高層ビルの建設が進み、郊外の幹線道路を自転車や馬車が行き交い、古いト
ラックが荷物を満載して走り、それを最新型の日本製やドイツ製の乗用車が追い越して行く。
そしてカーラジオからはロックや日本の演歌の新曲が流れてくる。若い女性の半数はためらい
がちに口紅をつけ、観光地は未整備のまま見物客でごったがえしている。あらゆるものの変化
が急なことを思わせる。
 この国の第一印象は「沸かしたての風呂に入った感じ」とでも言おうか、熟湯と冷水が混じ
り合わずにいてぎくしやくした皮膚感覚に包まれる時のあの感じそのものであった。
 だが、この不安定感を払拭してしまうよき人との出会いもいくつかあった。よく晴れた日、
にぎやかな万里の長城を歩いていたとき、三人の娘さんとすれ違い懐かしいものを感じてつい
写真のモデルにと頼んだ。この娘さんたちはためらわず応じてくれたが、この時のような気持
ちのよい快調な撮影はカメラ歴三十年の私にも初めてのことであった。彼女らには彼我の境目
が全くない。このような人がどうして実在するのか不思議にさえ思った。別れ際になって、こ
の娘さんたちは数千キロのかなたからたまたま出て来た転族(少数民族)の人とわかり、彼女
たちの存在の謎も解けてきたような気がしたと同時に、中国の底力を感じた。
 広い大地、長い歴史、そして十億の民、中国のふところは深い。  (MM)
                               1986年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、内モンゴル出身の女性のお話を聞く機会がありました。彼我の境目がないことは、彼女からも感じます。心が開かれているとかでもないし、警戒心がないということでもない。親しみの延長のようなものです。『「気」の意味』(島田明徳著)の中で、「気」の体感ということが出てきますが、この本はこのことを実にうまく表現しています。『「気」の意味』も在庫極僅少で、なんとか重版したい本です。電子版は昨年末発行しています。
(2016年1月13日 増田圭一郎 記)

2016年1月12日火曜日

円高に思う


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年9月号)

円高に思う


 2年ほど前、第一線で活躍している若いエコノミストやビジネスマンの集まりに出たことが
あった。その中に金融企業に勤務している人がいて、その人の報告によると、最近は海外への
融資と回収の仕事が増えて極めて多忙の毎日であり、日本はいまや金貸し業の国になっている
という。そして若いエリートの人気業種は自動車産業でもエレクトロニクス産業でもなく、金
融産業に集中しており、もの作りで稼ぐ時代は過ぎ去りつつあるという。いったいどんな時代
になるのだろうかということで、興味のある話題が続いた。
 それから僅か二年の間に、世界の経済情勢は急速に変化して、日本は今、円高の大波にもま
れている。経済の動きで社会状況が変わるので我々には生活や産業・文化的営為があたかも経
済変化にリードされているかのように見えるが、大局的に見れば人々の活動のエネルギーがそ
こに集中したから経済活動にあらわれたというのが順序なのであろう。
 この数世紀の間に人気貨幣はフランーポンドードルー円と地球上を移動してきたがそのどれ
一つとして経済学者のデザインどおりに動いたものはない。表面に現れた金や物や人間の願望
などを見ていたのでは問に合わない事柄で、人々の努力や腕力では変えることができないとめ
どもない大きないのちのエネルギーの流れなのだろう。人間がこのエネルギーを単なる物質的
富だけにかえてしまう愚行を犯すと、その都市は生命力を失い、いのちの流れは本当のいのち
を求めて次の都市へ向かって、またさまよいの旅を続ける。  (MM)
                               1986年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
バブル最盛期のこの文章は、その先の現在にいたる経済情勢を言いあてています。バブル景気が実体経済ではなく、経済が経済を生み出す虚構だったのですが、いまもそこから本質的に脱却できていません。景気を株価や上位企業の利益だけで見ていくことを、まやかしとわかったときいのちの経済が目覚めるのでしょう。
(2016年1月12日 増田圭一郎 記)

2016年1月8日金曜日

認識方法


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から巻頭言を毎日1編ずつ掲載していきます。



(月刊「湧」1986年8月号)

認識方法


 東洋の文化と西欧の文化との間にある認識方法の違いに驚かされることがある。ことに医学
の世界ではこの違いが顕著で、治療を受ける側では戸惑うことが多い。
 私事に瓦ってしまうが、ひと昔前に私の妻が胃ケイレンにおそわれたことがある。その時妻
は妊娠の初期にあり、何としてでも投薬は避けたい時期であった。幸い近所に希代の名医で東
西の医学に通じた間中喜雄氏がおられ、氏の鍼術を受けることができ、たちどころに激痛がお
さまり薬なしで完治し事無きを得た。この時の鍼治療はまるで手品を見るようで、そこで味
わった不思議さと喜びは忘れられない。
 生命への認識方法が違う東と西の医学の問には、同じ症状でも治療の方法に大差がでるのは
当然であろう。我が身の治療として東西の医学どちらを選ぶかは難しい、ときにはいのちがけ
の選択となる。だが思想を比較する具体的な材料として見れば興味は尽きない。
 ところで医学に限らず東洋的認識方法は、合理的計量的思惟に乏しいので近代の価値観と相
反する面が多い。また管理しにくいので政治からも学問からも敬遠されがちである。かつて西
欧のある歴史学者が、東洋の歴史に「無能」というレッテルを貼って、論議を呼んだこともあ
る。
 しかし、最近この流れが変わり目ざとい人々が東洋は知恵の宝庫だと気づきはじめた。
 この宝庫を掘りあてるには鍬はいらない。自分自身の認識方法を疑うだけでよい。(MM)
                               1986年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、帯津良一先生のお話を聞く機会がありました。先生が初めて中国に行ったきっかけは、鍼麻酔に興味を持ったからだそうです。肺ガンの患者を、麻酔薬無し、鍼麻酔だけで切除したのを直に見て驚いたそうです。
今年後半に、帯津先生の監修による健康シリーズを刊行する予定です。東洋の知恵をしっかり取り入れて、西洋医学も唸らせるものにしていきたいと思います。
(2016年1月8日 増田圭一郎 記)

2016年1月7日木曜日

水感覚


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年7月号)

水感覚


 近頃は、生活の中で手を加えた飲み物が多くなって、水を飲む機会が減っている。身のまわ
りにはありとあらゆる商品化された飲みものが氾濫し、食生活とともに飲み物のし好も大きく
変化している。緑茶、紅茶、コーヒー、ウーロン茶、ジュース類、酒類、健康飲料など、多様
化した飲料がなだれ込む。水だけで一日を過ごす人は、皆無ではなかろうか。
 このように水と直接対話する習慣が少なくなるということは、水の質を維持していく上で、
甚だ危険なことのように思えてならない。
 地方から都市に出てきたら、都会の水が悪くて顔が洗えないと嘆く女子学生がいた。水がま
ずくて飲めないというのは分かるが、洗顔できないとは、少し過敏すぎるのではないかと思っ
ていた。ところが、私自身がアメリカのカリフォルニアに旅したとき、そこの水はいやな違和
感があって、入浴はおろかシャワーを浴びるのさえためらった。ワシントンでも同じ経験をし
た。そこに住む人は平気なのだろうが、慣れは恐ろしいものである。考えてみれば、私達日本
人は、各地の温泉の味の違いを皮膚感覚で楽しんでいるし、同じ水であっても薪で沸かした湯
は、肌に優しく気持がいいと言ってきた。
 たしかに我々の感覚は鈍磨し、同時に良い水が次第に姿を消してゆく傾向にある。
 私は、水の良し悪しを峻別選択するのに、先の女子学生のように皮膚感覚を起用することを
提唱したい。舌先(味覚)だけの都合で、良い水が失われてゆくことがないように。(MM)
                               1986年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
水は、見える世界と見えない世界のちょうど架け橋のような気がします。空気よりはちょっとだけ見える世界に近い感じ。水の違いを皮膚も使って感じるというのは面白いです。
一昨年刊行の『じねん36.5°《水号》』に出てくる、弁護士でありながら、水の神様の神社の宮司、塩谷崇之さんの水の話しはつながるので、ぜひお読みください。
5月に出版予定の宮嶋望さんの新刊『生きろ!ともに生きろ!』(仮題)には、世界に発する和の文化の章で、水に関するとても興味深い話しが出てきます。こちらもお楽しみに。
(2016年1月7日 増田圭一郎 記)

2016年1月6日水曜日

初めか終わりか


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年6月号)

初めか終わりか


 やはりチェルノブイリ原発事故のことを言わずにはいられない。
 時代はさかのぽるが、昭和二十六年頃に『初めか終わりか』という題のアメリカ映画が東京
で公開された。この映画は、原爆の開発実験の様子から日本爆撃の準備、アクシデントによる
科学者の被ばく事故、そして広島への投下の模様までが実写フィルムも使って克明に描かれて
いた。核エネルギーの実用化は人類にとって初めなのか終わりなのか。当時これを見た私は大
きな衝撃を受け、その後の文明に対する懐疑の出発点となった。実はこの映画は、三日間ほど
で上映が打ち切られてしまい、その後消息を聞いたことがない。
 さて、史上最悪の今度の原発事故は、直接多くの被ばく犠牲者が出たというばかりでなく、
放射能汚染が北半球全域に及び、その被害の拡大は計り知れないといわれている。事故当時、
自国の原発は絶対安全といっていた当のアメリカで、最近、下院の公聴会の席上ある委員が、
「現在のアメリカの安全基準では炉心熔融が起こりうる。今後二十年以内に今回のソ連の原発
事故と同規模かそれ以上の事故がおこる可能性がある」と証言し、内部批判がはじまっている。
また、この原発事故後に行ったアメリカの世論調査では、十人に八人が新規原発建設に反対、
十人に四人が既存原発の廃止を支持すると答えたという。
 かつて夢のエネルギーともてはやされた核の利用は、三十五年も前のあの映画『初めか終わ
りか』の初発の問いに回答をせまられる時代に入ったようである。
 チェルノブイリ原発の事故は、人間の未来にとって禍となるか福となるか。  (MM)
                                 1986年6月10日発行


(次世代のつぶやき)
チェルノブイリ事故のあと、地湧社では数冊の原発関連本を出しています。87年の湧増刊号「まだ、まにあうのなら」(甘蔗珠恵子著)、88年『放射能はなぜこわい』(柳澤桂子著)、93年湧増刊号「たった一回の原発事故で ウクライナの母たちからの手紙」2007年『巨大地震が原発を襲う』(船瀬俊介著)。このなかでも、「たった一回の原発事故で」は、ぜひおすすめです。チェルノブイリ事故から4年、ウクライナのお母さんからの手紙は、いまの福島と重なり心を打ちます。
(2016年1月6日 増田圭一郎 記)

2016年1月5日火曜日

伏流水


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年5月号より)

伏流水


 河川を下る水は、表面の流れのほかに地下をかくれて流れる伏流水という別の流れがある。
伏流水は音もなければ、見ることもできない。
 韓国に咸錫憲(ハム・ソクホン)という八十歳を過ぎた思想家がいる。咸氏は、数年前に世
界各国の精神指導者を招いて開かれた「九月会議」に来日して、独自の歴史観を語っている。
それは、人類の歴史の伏流水ともいうべき史観である。
 咸氏によれば、「韓国の歴史は、いわゆる栄光の民族の歴史というものはほとんどない、他国
から侵略され続けた失敗の歴史である。これをそのまま若い人に教えたのでは、悲観させるよ
うなものになってしまう。それで考えたあげく、ひらめいたものがあった。人類の救いとして、
即ち、意味として歴史をとらえ直せば、いじめられた民族の苦難の姿は人間の救いになる。恥
ずべき失敗の歴史が、かえって世界を蘇生させるような意味を持つ時代が來ているのではない
か。なぜならば、今まで続いて世界を支配しようとしていた大国主義が破れつつあり、もうこ
れ以上もち続けることができないことが明らかになっている。後ろの方に遅れていたものが、
廻れ右して逆の方に進めば先頭になる。」という。
 この「九月会議」の記録は“世界精神指導者緊急の集い”という副題をつけて思草庵から発
行されているが、主宰者である押田成人神父はいま、赤貧の中でこの英訳版の刊行の遅れに心
をいためておられる。  (MM)             1986年5月10日発行


(次世代のつぶやき)
押田成人神父は、2003年に天に召されましたが、遺された言葉はいまでも心に響きます。
地湧社では、押田神父の著作5点のうち、3点が品切で重版が出来ないでいます。
今年度は、このような隠れた名著をぜひ復刊したいと思います。それぞれ200冊から300冊くらいの事前予約またはご協賛をお願いして復刊していく仕組みを作りますので、ぜひご支援ご協力をお願い申し上げます。
(2016年1月5日 増田圭一郎 記)

2016年1月4日月曜日

栞(しおり)


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年4月号)

栞(しおり)


 ニューヨークで精神活動を続けている田中成明という友人から変わった栞セットの贈り物が
届いた。手のこんだ奇麗なこの金属製の栞には欧米の人々の「本」に対する深い思い入れと愛
情が感じられる。
 日本語の栞の原意は、枝を折って道しるべとすることにあるという。
 栞といえば、私はすぐに民話の「姥すて山」をおもい浮かべる。また、この民話に基づいて
書かれた深沢七郎作『檜山節考』も発表当時大変な評判となり、映画化もされ演劇でも上演さ
れたが、ことに松禄が演じた歌舞伎座の舞台は、私の心の中に民話と二重うつしとなって四半
世紀を過ぎた今でも生々しく残っている。
 ……姥すて山の上で老母に別れた息子が、山を下りはじめると急に雪が降りだし、辺り一面
が真っ白になってゆく。ふと気がつくと折れた木の枝がある。帰り道で息子が迷わないように
と老母が折った枝が綿々と続いている。感極まった息子はいま来た道をとって返し「かあさん!
雪だよ!」と叫ぶ。その声が雪の坂道で滑って転ぶ板の響きと絡み合って、いつも私の耳の底
で再現される。
 私達の身の周りには知識や道具というちりが積もって道を見失い、知らず知らずのうちにい
つの間にか文明の迷路に入ってしまっているのではなかろうか。
 大いなる知恵をもつ老母が折った栞はどこにあるのだろうか。その現代の栞を求めて私達は
本づくりの旅を続けているのだが。     (MM)


(次世代のつぶやき)
最近栞を使わなくなりました。ブックマークしたいときは、本に挟まっているチラシや読者カード、それさえない場合は、カバーのそでをはさんだりして。
思えば、お気に入りの栞を使っている時期は、ゆったりと時間が経っていました。
電子書籍にもブックマークの機能がありますが、何と味気ないことか。
自分専用の栞を持つことは、時間の贅沢、心の贅沢です。
(2016年1月4日 増田圭一郎 記)

感性の閾値


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、1986年の第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきたいと思います。

(月刊「湧」1986年2月号)

感性の閾値

 日常的にはあまり使われていない言葉であるが、閾値という用語がある。「生体に興奮を起こ
させるのに必要な最少の刺戟強度」を表わす専門用語である。
 現代人の多くは、エネルギーをより多く確保し使うほど、大きな幸福が得られると信じて、
過大な刺戟を必要としているから、いまや人間の感性の閾値は急上昇の時代といえよう。
 こうした時流の中で新体道の創始者である青木宏之氏は、長年の念願が叶ってこの二月に東
京小石川に新道場を開設した。青木氏は、からだと心の結びつきについて、伝統的な武道や芸
術・宗教に学びながら、自身の感性を磨き、その闘値を極度に下げることを体現し、人間のか
らだの可能性の素晴しさを示した。青木氏の表現の一つに、離れている相手を自在に動かす“遠
当て”という実技がある。かつて氏の実技をみて超能力とか神秘主義、あるいはまやかしといっ
て、興味を持ったり揶揄したりした人もいたが、最近は電子測定器機が進んできたので、青木
氏の能力の実在が科学者の目にも明らかにされ、国際的にも関心を持たれはじめている。人と
人や人と自然の間に見えない糸で呼応する感性の存在は、いまでは非日常的となったが、逆に
知識の少なかった太古の時代はだれもが感性を豊かに備えていたのであろう。
 だが、前途が悲観的であるとは限らない。最近の調査によると、日本人は、仕事よりも趣味
の生活に憧れる人が増えているという。また、超能力や神秘への関心が高まったり、自らのうち
に独自の力を見つけようとする傾向がある。そしてこういった念願をあからさまにできる時代
にもなっている。没個性を強いて感性を鈍らせる現代的価値観を拒否し、人々はいつの間にか
無意識に感性の闘値を下げることの方に加担し始めたのかも知れない。
 二十一世紀は芸術と宗教の時代になると言われている。(MM)



(30年後のつぶやき)
二十一世紀は芸術と宗教の時代になると結ばれてますが、まさにそうだと思います。芸術や宗教がその枠を超えて、人の心・技・体に結実したとき、新たな生き方が見えてくるでしょう。これは、卓越した職人や特殊な修行をした宗教者でなくても、ごく普通の人が真実をつかむことができる時代になりつつあるということです。
アクエリアスの時代と言われる二十一世紀に入って、16年が経ちましたが、まだまだその潮流が表に出てきているとは思えませんが、若い人たちはもう変わってきています。
(2016年1月2日 増田圭一郎 記)

2016年1月3日日曜日

見えない横縞の世界


地湧社は、創立以来月刊誌「湧」を発行してきました。
「湧」は、単行本をはじめとする出版活動の宣伝をするとともに、地湧社の設立理念を明確にしていく広報的役割を果たしてきました。
30年目の今年、改めて原点を振り返り新しい一歩を踏み出すために、第1号からの巻頭言を1日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年3月号)

見えない横縞の世界


 ある女性の学者がこんな実験をした。部屋の壁や調度品一切を縦縞に塗り、その中で生まれ
てまもない子猫を育てる。猫が大きくなったとき、今度は、部屋の中を一切横縞に塗り替えて
しまう。するとどうなるかこの猫は、部屋の壁や調度品があたかも存在していないかのよ
うに振舞い、歩くたびに激突してしまって全く生活不能となる、ということである。事物と認
識との関係を考えるのに格好の話である。
 食生活の荒廃が叫ばれて久しい。荒廃という横縞の壁が見えなければ何度でも衝突して心身
の健康は損なわれていく。本号に登場されている丸山博氏や馬淵通夫氏は、食と健康について
その問題のありかを長年指摘し続けてこられたが、気付く人が少ないらしい。さぞ歯がゆいこ
とであろう。
 有害な食品添加物、過剰な農薬使用、合成洗剤や核物質に至るまで、生命にとって危険かつ
重大な問題は、みな、見えない横縞模様で描かれているのだろうか。
 熊本県の養生先生、竹熊宜孝氏は、いまの学校教育では生命に関する基本的な教育がほとん
ど行われていない、と指摘しておられる。先の子猫の育て方の話に当てはめれば、現代は、縦
縞一点張りの偏った情報によって真実を見る目をくらませる生命軽視の社会といえまいか。
 このようなことをいうと、よこしまな考えだ、といわれる世の中になってしまったのかもし
れない。               (MM)


(次世代のつぶやき)
この子猫の実験は、1981年にノーベル生理学賞をとったデイヴィッド・ハンター・ヒューベルとトルステン・ニルズ・ウィーセルによる研究のことだと思われます。
それはさておき、刷り込みによる思いこませは情報化社会ほど深刻です。うそも百遍言えば本当になる、というひどい言い方もありますが、巧妙に錯覚させる情報がたくさんあるのもたしかです。
こういう世の中では、自分の感性が大切と言われてきた私には、衝撃的な体験があります。アメリカで単発飛行機のライセンスを取るために訓練していたときのこと。飛行中に上昇下降や水平が分からなくなったときは、自分の感覚でなく、計器の方を信じろと教官に言われました。えっ、機械だって壊れるでしょ、自分の命を機械に預けるの? 
しかし、飛行機の訓練は、基本的に機体の操縦より、心の操縦、つまりパニックにならないことと気づいてきたとき、だんだん腑に落ちてきました。
人間は不安になったとき、錯覚しやすいのです。
まわりが不安定になり、不安に落ちそうなこの時代、錯覚や刷り込みに注意しましょうね。
(2016年1月3日 増田圭一郎 記)