2016年3月25日金曜日

禁煙列車


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年7/8月号)

禁煙列車


 この六月十五日から東海道本線の全線全車両が禁煙車となった。たばこ嫌いな私は、これま
で禁煙車両が増えるたびに幸せの空間が広がったと喜んでいた。実は私は幼少の時、気管支炎
を患ったことがあり、そのためか平生はなんでもないのに、油断してたばこの充満する部屋に
長くいると気管支が重苦しくなり、しばらくの間後遺症が続くことがある。若い時から喫煙は
おろか東京の空気汚染の進行に恐怖を抱き、空気のきれいな地方に職を求めたほどで、環境問
題には早くから敏感であったのもその辺からきているのかも知れない。
 その後何の因果か今では、東海道本線で毎日都心に通うはめになってしまっている。仕事上
でも交友の場でもヘビースモーカーと会うのは苦痛なものである。しかしその人が断煙したと
きほど嬉しいことはない。
 さて、これほどたばこ嫌いな私でさえ、今回のJRの全面禁止措置にはどうも引っ掛かるも
のがある。愛煙家の人はどんな気持ちなのだろうか。公共のための禁煙といっても一両や二両
の喫煙車を残してもいいではないか、そういう声が聞こえてきそうである。嫌煙者のためだけ
でなく、喫煙者用の解放区があってもよい筈だ。どうもこの極端な禁止策のうらに施行者のエ
ゴが感じられてしかたがない。きれいで安全な環境づくりには、こんな安上がりで安易な方法
はあるまいから。だが、国民の自由裁量の生活空間という大事なものをこんなに簡単に奪って
いいものだろうか。教科書検定制度の統制強化や新型税制の設置など、いまの日本の政治をこ
の禁煙列車は象徴しているように思えてならない。(MM)
                               1989年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
統計上はどうだかわかりませんが、まわりにたばこを吸う人がだいぶ少なくなりました。私は、かなり小さいときに叔父が断煙をする姿を見ていて、つらそうだから最初から吸うのはやめようと思ったきり、まったく興味も持ちませんでした。
ちょうどそのころ筒井康隆氏の『最後の喫煙者』という短編SFを読みました。喫煙者に対して、国全体で、警察や自衛隊まで出動させて、脅迫、私刑までして取り締まり、ついに主人公一人になるという風刺小説です。たばこは象徴ですが全体主義の恐ろしさがよく描かれています。
(2016年3月23日 増田圭一郎 記)