2016年3月9日水曜日

北京の哲学者


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。※2月17日よりアカウントの不具合で更新ができませんでしたが、再開いたします。

(月刊「湧」1988年10月号)

北京の哲学者


 北京で三人の哲学者と楽しい懇談のひとときをもつことができた。日本の文化に多大な影響
を与えてきた中国五千年の文化の一つの頂点として、老子の思想をできるだけ純粋な形で学び
たいという長年の念願の第一歩がかなえられた。
 この哲学者たちは、とくに老子の研究家ということで紹介された方たちであるが、発掘文書
の解読など、地味な哲学の基礎研究を続けておられる。あまり人前に出ることがないのか、い
ずれも質素な身なりで、北京大学の許教授に至っては、ワイシャツの衿の布が二枚目まですり
切れているものを着用してはばからない。中国はいま、開放政策の中で経済が先行し、理工学
部の教授は人気が高く、文科系はどちらかといえば日が当らず、殊に哲学の教授は「日陰の穴
掘り」だという。しかし、雑音に悩まされることがないせいか、研究に没頭している様子で、
ういういしく、すがすがしい印象の方々である。
 そこへ日本からの訪問者が、「老子の思想の現代における価値」というテーマで、それも学識
者にでなく、一般の人に分かるように発言してみないかという注文をつけたので、三人の哲学
者は驚いた。それから六時間にわたり「反自然に向かって突っ走る近代化の中で無為自然を標
榜する老子の思想は受け入れられまい」「ではなぜ西欧の学者をして無能無意味とまで言わせた
東洋哲学をあなた方はやっているのか」など、西洋文明と東洋哲学との関係などについてさま
ざまな話し合いが続き、結局「やってみましょう」ということになった。この哲学者を東京に
招くのは二年後である。果たして早すぎるのか、遅すぎるのか。 (MM)
                               1988年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
このときの話しは、『詳説 老子伝』(王徳有 著)『老子は生きている』(葛栄晋 著)『老子・東洋思想の大河』(許抗生 著)の3冊に結実しました。老子の思想の現代的意義が実直に書かれています。
いま、中国は経済成長に乗って、海外の書物の翻訳出版が盛んです。特に教育思想についてはオルタナティブなものがどんどん入っているそうです。
足もとの老子の思想は、現在どう見られているのでしょうか。非常に興味があります。
(2016年3月9日 増田圭一郎 記)