2016年4月7日木曜日

ナマステ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年6月号)

ナマステ


 ネパールの首都カトマンドゥに長逗留する機会を得た。
 この国には16の人種が住んでいるといわれ、街を歩くと様々な顔に出会う。ついカメラを
向けると娘さんはたいてい顔を隠したり、後ろを向いてしまう。しかし、「ナマステ」と声をか
けて「ナマステ」と声が返ってくればもう大丈夫。笑顔のポーズで応えてくれる。ネパール語
では、おはよう、こんにちは、はじめまして、さようなら、ありがとう、などの挨拶が「ナマ
ステ」で事足りる。この一つの言葉がこんなに多様な場合に通じるということはどんなことな
のだろうと考えてみた。
 ヒンズー教徒が80パーセント以上といわれるネパールの人々は、生死を含めて森羅万象を
ありのままに受け入れるという民族性を持っているように感じられる。たとえば売り買いも、
客との関係で価格が大きく変わる。ちっちゃな女の子が指輪を持ってきて「50ルピー」と言
ってついてくる。そのうち「10ルピー、10ルピー」と言う。それでも取り合わないと「1
ルピー、1ルピー」と呼ぶので「1ルピーは安すぎてダメ」と言い返すと、キャッキャッと全
身をくねらせて笑いころげる。それが可愛い。タクシーでもあんたが値段をつけろと開き直る。
そこで双方が気持ちの良い、適当な値段で折り合うことになる。
 言葉や観念以前に状況があり、状況を共感しあい、そこから無理のない結論が出てくる。状
況は今ここしかない。だから一つの言葉で間に合う。「今、この時この場で出会ったお互いの存
在、これ以上価値あるものなんてありません」ナマステにはそんな響きがある。(MM)  
                                1990年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
挨拶をしなさいと、学校をはじめ、そこかしこで言います。
あまり紋切り型に言われるとと、あまのじゃくな私は嫌になりますが、
やはり、年を経るほど大切だと思えます。
挨拶やお礼には共に生きている存在の深いところでの確認みたいなものかもしれませんね。
(2016年4月7日 増田圭一郎 記)