2016年4月22日金曜日

ゼンドウ・オシダ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年10月号)

ゼンドウ・オシダ


 オランダにアルベルチナムという名の修道院がある。過去に幾人もの著名な神学者を生んだ
由緒ある所である。今年の八月、この修道院の一角に禅道場ができた。「ゼンドウ・オシダ」と
名づけられ、ヨーロッパの人達が押田成人神父の指導のもと命名記念の参禅会を催した。一般
の人と一緒に仏教僧、キリスト教信徒、神父なども多数参加した。これに前後して押田神父は
たくさんの修道院や教会などを歴訪し、ミサや瞑想、坐禅を通してヨーロッパの人々と熱心な
交流を続けた。
 この旅に随行して感じたことは、キリスト教に代表される現代ヨーロッパの精神文化は、行
きづまり状態にあるということである。大学の神学部の学生が激減し、教会への信徒の参加が
減少している。一方、前述の禅堂開設のように、坐禅やヨガなどを通して東洋精神の中に出口
を求めようとする人々が急増している。そこには精神の飢餓感がみて取れ、かえってその飢餓
意識の中に、行きづまりとは裏腹にヨーロッパの伝統的精神文化の深さと底力が感じ取れた。
 参禅会に集まる人達の三分の二は、正しく結跏趺坐を組むことができないので補助具などを
使う。ちょっと奇妙な光景であるが、皆真剣そのものである。ある会であまりに感動的な坐相
の女性がいたのでインタビューしてみると、この人は坐禅経験は少ないが、幼少の頃から教会
に通っている敬虔なクリスチャンであった。
 キリスト者が坐禅を組み、ほとけの姿になる。それがゼンドウ・オシダの中では少しも不自
然ではないのだ。精神の深まりは異文化を貫く、それを肌で感じた旅であった。(MM)
                         1990年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
この連続掲載の最初のころに、21世紀は宗教と芸術の時代になるという言葉がありました。
いままでの既成宗派宗教から、それぞれが深まりつつ新しい宗教の時代になると思います。
もう宗教という名のくくりはなくなるかもしれません。
シャーリー・マクレーンは自分のなかに神はいる、といいました。誰のなかにも神はいます。
 (2016年4月13日 増田圭一郎 記)