2016年4月5日火曜日

歴史の清算


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年4月号)

歴史の清算


 最近、三本の映画を立て続けに観た。一つは、格式と伝統を重んじる名門校の中での型破り
教師と生徒の交流を描いた『今を生きる』。もう一本は、ベトナム戦争で心身共に傷ついた一青
年の苦悩の物語「7月4日に生まれて」。そして、“すべての親たちに捧げる”という言葉で始
まり、見えない心の世界を映像化した作品『フィールド・オブ・ドリームス』である。
 これらの映画は、日本でいま人気上位にランクされている。なぜヒットしているのか考えて
みたが、これらの映画には共通するものがある。それは、すでに築かれている習慣や権威とい
うものを否定しながら、そうかといって新しい権威やイデオロギーを持ち込むのではなく、人
間一人一人の内なる感受性と視点を問題にしているという点である。このようなテーマはこれ
までの常識からすればマイナーに属するものであろう。そういうテーマのものがメジャー映画
として通ってしまう。
 例えば『7月4日に生まれて』の原作は一四年前に出版されているが、そのモチーフは一九
六〇年代に生まれたものだ。六〇年代という時代は国家主義やイデオロギーに疑いをもち始め
た時、即ち“近代”そのものに人々が疑いを持ち始めた頃といってよい。その疑いが二〇年な
いし三〇年経て市民権を獲得したわけである。これらの映画は歴史を清算する請求書といって
よいかも知れない。新しい請求書は、代替えイデオロギーという手形でなく、個々人の自覚と
いう現金精算を要求しているように思えてならない。(MM)    1990年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
映画は2時間、単行本は250ページというだいたいの相場ができています。不思議ですが、
このくらいの分量は、人間の内側を描き、観る人の心を動かすのにちょうどよいような気がします。
映画館や本で、その時間たっぷりと浸る。それは、大切な文化だと思います。
(2016年4月5日 増田圭一郎 記)