2016年1月19日火曜日

代理価値


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年2月号)

代理価値


 厳冬の中で円高不況による企業倒産が相次いでいる。昨日、親しい友人が訪ねてきて、破産によって絶望のどん底にいる知人を今し方力づけてきたところだという。そして「最も安定している会社というのは、いつも苦しい線を歩いている会社だそうです。さしずめあなたの会社は安全ですね。」と真面目な顔つきでいう。そういえば野鳥や昆虫はいつも餓死と直面しながら元気をえている。企業は生きものというからなるほどそういうものかと、変な理屈をつけてみた。
 私達は物事を貨幣価値で処理していることが多いので、いつの間にか貨幣の流れだけをみてしまう。だが、本来いのちの営みがあって、その「代理価値」として貨幣が用いられてきたことを思い出せば、自ずから焦点の位置が変わってくる筈だ。農業でも目先だけの金づくりが優先されれば、土壌は弱り有毒な作物さえ作りかねないし、金づくりで始めた原発もむしろコスト高になることがわかってきた。生命の次元に戻ればまったく採算が合うまい。
 さらに、「国家」も代理価値であることを忘れずにおこう。防衛費のGNP1%突破や国家秘密法、大型間接税新設のごり押し、みんな代理価値の暴走だと思う。
 この際「貨幣」「国家」のほかに「情報・知識」も代理価値の仲間にいれて考えてみたらどうだろう。ブラウン管にへばりついてばかりいたら山や花の美しさを見逃してしまうし、カセットテープを抱いていたら、小川のせせらぎや愛のささやきを聞き損なってしまう。
 この不況を機会に、我々が便利だとして使ってきた代理価値をよくよく点検してみたい。  (MM)
                               1987年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
危機に直面しなければ、そのものが「代理価値」であることに気づかないのが、私たちですね。
でも「代理価値」にまったく無縁では、なかなか生きていけません。「代理価値」に自分のいのちと心を全部とられないようにしたい。「代理価値」にひやっとしたものを感じる状態がいいと思うのですが、自然と離れているとそれが鈍ります。

この巻頭言筆者は、今日齢80になります。おめでとうございます。
(2016年1月19日 増田圭一郎 記)