2016年1月13日水曜日

中国の印象


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から巻頭言を毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1986年10月号)

中国の印象

 
 このたび思わぬ機会をえて中国の北京市と天津市を訪ねた。私にとっては初めての中国旅行
であったが、中国はいま新しいものがどんどん入り激しい変化の時代を迎えている。市街地は
いたるところで高層ビルの建設が進み、郊外の幹線道路を自転車や馬車が行き交い、古いト
ラックが荷物を満載して走り、それを最新型の日本製やドイツ製の乗用車が追い越して行く。
そしてカーラジオからはロックや日本の演歌の新曲が流れてくる。若い女性の半数はためらい
がちに口紅をつけ、観光地は未整備のまま見物客でごったがえしている。あらゆるものの変化
が急なことを思わせる。
 この国の第一印象は「沸かしたての風呂に入った感じ」とでも言おうか、熟湯と冷水が混じ
り合わずにいてぎくしやくした皮膚感覚に包まれる時のあの感じそのものであった。
 だが、この不安定感を払拭してしまうよき人との出会いもいくつかあった。よく晴れた日、
にぎやかな万里の長城を歩いていたとき、三人の娘さんとすれ違い懐かしいものを感じてつい
写真のモデルにと頼んだ。この娘さんたちはためらわず応じてくれたが、この時のような気持
ちのよい快調な撮影はカメラ歴三十年の私にも初めてのことであった。彼女らには彼我の境目
が全くない。このような人がどうして実在するのか不思議にさえ思った。別れ際になって、こ
の娘さんたちは数千キロのかなたからたまたま出て来た転族(少数民族)の人とわかり、彼女
たちの存在の謎も解けてきたような気がしたと同時に、中国の底力を感じた。
 広い大地、長い歴史、そして十億の民、中国のふところは深い。  (MM)
                               1986年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、内モンゴル出身の女性のお話を聞く機会がありました。彼我の境目がないことは、彼女からも感じます。心が開かれているとかでもないし、警戒心がないということでもない。親しみの延長のようなものです。『「気」の意味』(島田明徳著)の中で、「気」の体感ということが出てきますが、この本はこのことを実にうまく表現しています。『「気」の意味』も在庫極僅少で、なんとか重版したい本です。電子版は昨年末発行しています。
(2016年1月13日 増田圭一郎 記)