2016年2月8日月曜日

青い目の密教僧


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年4月号)

青い目の密教僧


 長い歴史の中で女性を遠ざけてきた真言密教の本山高野山で、外国女性としては初めての尼
僧が誕生した。スーザン・ノーブル・タナカさんが高野山尼僧修道院に入学したのは一年前で
ある。連日朝二時から夜九時に及ぶ百日行など、その修行内容は相当厳しいものであったらし
い。アメリカという論理社会に生きていた彼女にとって、耐え難い問答無用の劇的場面もあっ
たという。それでも落伍せずに卒業して、案じていた私達の前に元気な姿をみせてくれた。
 スーザンさんは、自然豊かなオレゴン州に生まれ、敬虔なカトリック教徒の両親の下で育ち、
地元のポートランド大学で歴史を学んだ後、ニューヨーク大学で映画評論を専攻する。その中
で小津安二郎の日本映画に出会い日本の文化に深い関心を抱くようになる。その後日本の国際
基督教大学に留学し、勉学の傍ら座禅を通じて仏教の世界を知る。帰米後今度は真言密教
に縁を結ぶ。こうして日本の文化に触れて僅か十年足らずのうちに、日本文化の深部まで体当
たりで入りこんだ。
 どちらかというと寡黙なスーザンさんは、映画の話になると熱弁家になる。「ムービーとフィ
ルムの違いわかりますか?ハリウッドなどで作られる商業主義の作品はムービー、人々の生
活の真実を描く芸術作品がフィルム、両者は本質的に違うんです」と彼女は言う。
 このフィルムに夢を描く生活感覚は彼女の宗教生活に如実にあらわれている。いま、アメリ
カのバーモント州には九万坪の農地をもつ道場が彼女の帰りを待っており、宗門の守りの仏教
から、庶民の日常生活にとけこむ仏教へと彼女は自らの実践で示そうとしている。 (MM)
                               1988年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
今から32年前のちょうど今ごろ、当時ニューヨークに住んでおられたスーザンさんとご主人の田中成明氏のお宅で2か月ほどお世話になりました。そのころスーザンさんは、マンハッタンの国連近くの通信社に勤めていました。まさかそのあと、高野山で出家されるとは。今は何をされているでしょうか。 (2016年2月8日 増田圭一郎 記)