2016年2月12日金曜日

行動の多様性


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年7月号)

行動の多様性


 原子力発電所の存在に疑問を投げかけた『まだ、まにあうのなら』が四十万部を突破した。
それに応じて意見も百出している。自分も原発に疑問をもつのだが、実際に電気を使っている
のだから正面から原発やめろと言いきれない。極端な場合は自分の夫は原発産業に直接関わ
っているがその仕事を簡単に変えるわけにはいかない。と、現実の矛盾に悩む人にも出合う。
一方運動熱心な人達の中には原発の作業現場に直接メッセージを送って原発をやめようと唱え
る人もいる。
 しかし私は原発を運転している人に即刻運転をやめろということや、現実の矛盾を一挙にな
くさなければならないという性急な行動に疑問を感じる。
 例えば武力は一日も早くなくしていきたいが、自衛隊員が訓練をサボつたとしたら喜べない。
また政治家が理想とは逆の方向を向いていても、われわれが歴史の上でそのように希望したの
だと一旦は肯定しなければ、どんな明日を期待してもそれが成り立たないのと同じであると思
う。
 かつて原発は花形産業として優秀な人材を集めたが最近はそういう人を集めにくいという。
これはたいへん危険で恐ろしいことである。造ってしまった原発なのだから、今こそ優秀な人
材が馳せ参じて運用してくれなければ困る。その方が撤去も安全で早かろう。
 明日のために反原発運動をする人、今日の安全のために原発を運転する人、一見相矛盾する
行動の多様性が同時に受け入れられたとき、脱原発への社会の変容も早まるに違いない。 (MM)
                               1988年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
ここに書いてあるように、現状を憂うときに、一旦はそれを受けとめ現実を直視しないと、改善への対処を間違えると思います。核廃絶に向けては、かなり高等な研究が必要になるでしょう。それと今後、すでに作ってしまった核廃棄物は数万年に渡って管理し続けなければなりません。石油や石炭など埋蔵エネルギーは、その管理のために大事にとっておかなくてはならないのではないでしょうか。 (2016年2月12日 増田圭一郎 記)