2016年2月5日金曜日

縄文人の湧水


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年3月号)

縄文人の湧水


 八ツ岳南麓の信濃境近くには、六千年の昔縄文人が住んでいた。縄文人がこの地域に居を構
えた理由は、何よりもこの周辺には良質で豊かな湧水がたくさんあったからであろう。
 いま湧きでている水は、数十年前に山に降った雨がゆっくりと地層にしみて育まれ、やがて
地表に溢れ出たものであるという。水の温度は一年中ほとんど変わらず、夏は痛いほど冷たく、
冬は湯気がたっていて暖かく感じる。泉の水を飲むのがこの地を訪れる人々の楽しみのひとつ
であり、この泉の真下には森の神父押田成人氏の修道場・高森草庵がある。
 ところが今、この泉は乱開発で危機に面している。ある企業が泉の上方一帯をゴルフ場にし
ようと計画しているのである。この地帯の涵養林を伐り倒しゴルフ場にすれば、たちまち水の
保持力が低下し、土砂や水が表面を流れ環境が変わっていくことは明らかである。その上ゴル
フ場は除草剤、化学肥料などを大量に使うので水は汚染される。だが、泉の水が枯れたり、汚
染されたりするのは数十年後になるだろうから、迂闊にしていると気づかずに子や孫の代が被
害を受けることになる。
 最近、政府は内需拡大策として各地の開発景気を煽っている。ことにゴルフ場づくりは建設
費と会員権の売買など二重三重のしくみで資金が動き、更に地元の生活感覚からみてもまとま
った金や働き口を得るという手近かな富をもたらし、景気拡大にとって格好の材料である。
 このような情勢の中で、泉が人々のいのちにとってかけがえのない意味をもつのだというこ
とを、当事者に気づいてもらうにはどうしたらよいのだろう。押田神父の祈りが聞こえてくる。 (MM)
                               1988年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
30年前にこの話を聞いたときに、雨がしみ込んでから地層に潜って湧き出すまでに30年ほどかかるといっていたので、ずいぶん先の話だなと思っていました。でも、いまちょうどそれから30年ですから、まさにそのころの水がいま湧き出ているころだと思います。そろばん勘定だけで環境問題を考えていると、解決はつかないと思います。子々孫々ひとつらなりのいのちという意識をどう持つかですね。  (2016年2月5日 増田圭一郎 記)