2016年5月26日木曜日

バダムハントさん


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年5月号)

バダムハントさん


 バダムハントさんはモンゴル人民共和国の東洋研究所の若い研究員である。モスクワの大学
に留学し日本文学を専攻した後、東京外国語大学に学んだ日本通である。最近は日本とモンゴ
ルの文化の橋渡しのため通訳として度々来日する。彼女はなんとなく安らぎを感じる程よい日
本語を話す。敬語が使えなくなっている日本の同年代の女性よりもむしろ親近感が持ててくる。
 ところで彼女の母国語であるモンゴル語は、いま大きな変革がなされようとしている。モン
ゴルは昔から、縦書きでテレビアンテナを並べたような形の文字を使っていたが、革命後の一
九四六年にこの文字は不都合不合理という理由で、現在のソ連圈と同じキリル文字に全面改定
された。日本語をローマ字書きだけに統一してしまったようなものである。それが最近のソ連
離れの気風の中で、一九九四年には元のモンゴル文字に戻すことに決定された。文字だけでな
く外来語で変質しているモンゴル語全体の見直しも含まれている。
 昨年モンゴルの首都ウランバートルで、ある会談に臨んだ折、六十年輩の人がノートに綴っ
ていたモンゴル文字の美しさに魅せられてしまった。そのモンゴル文字を、バダムハントさん
のような若い年代の人は全く読むことも書くこともできない。
 侵略者として否定的な扱いを受けたチンギスハンが民族統一の英雄に戻り、宗教活動が解
放されるなど文字だけでなく、この国の文化基準そのものが変化している。その中でバダムハ
ントさんはモンゴル文字を一から学ぶ。ここで彼女が学んでいるものは、伝統に帰るというこ
とだけでなく文化基準そのものから自由になる心かもしれない。(MM)
                         1991年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、内モンゴル出身の女性にモンゴル文字の詩集を見せていただきました。とてもきれいでした。
モンゴルでは、ほとんど一般では使われなくなったのに、中国内の内モンゴルでは、しっかりモンゴル文字が残りました。
文字文化はとても大切です。日本でも時代とともによい言葉がどんどん失われてはいますが、まだまだ復活の可能性はあります。
今日、ひさびさに「よすが」という言葉に出逢いました。一枚の写真を思い出のよすがにする、なんていい感じです。
(2016年5月26日 増田圭一郎 記)